7年目の奇跡!? 投稿者:名木田恵子 投稿日:2008年 4月14日(月)23時37分15秒
カーテンが揺れる12月の小窓 漫画原作を書いていた頃 PART 3
カーテンが揺れる12月の小窓 漫画原作を書いていた頃 PART 3
原作小説は1980年代初めに『毎日小学生新聞』に連載後、講談社青い鳥文庫から新書版単行本にまとめられた
『ころじかる・むにゅ・ぱっ☆』キュピリちゃんのラブコメ・ファンタジー2 著:名木田恵子 挿絵:田村セツコ 講談社 1989年08月10日初版刊
単行本情報:
みすとかすみ『夢みてBOMパッ』全四巻 秋田書店ひとみコミックス 1986年~1987年
八月の小窓~ティム・ティム・サーカスの思い出
単行本情報:
いがらしゆみこ『ティム・ティム・サーカス』全二巻 講談社KCコミックスなかよし 1982年 文庫版『ティム・ティム・サーカス』 中公文庫コミック版 1997年
この年、名木田恵子名義で小学館の学年誌『小学6年生』1980年10月号 掲載の「姫子のギリシア神話 かなしみのエーゲ海」という読み物のテキストも担当している(イラストは『うわさの姫子』の藤原栄子)。
それまで『なかよし』誌の表紙では基本的に漫画家名は表記しても原作者名は省かれる慣習だったが、「きらら星の大予言」連載開始号では表紙に「原作/水木杏子」の表記がある(ただしこの号ではまだ「おはよう!スパンク(たかなししずえ)」の雪室俊一、「コクリコ坂から(高橋千鶴)」の佐山哲郎の記載はない)。
同年10月号では新連載「あこがれ・二重唱(佐藤まり子)」の原作者・佐和みずえ、及び第四部連載再開の「おはよう!スパンク」は表紙に原作者名の記載があり、「きらら~」の原作者名は省かれているあたり、この時期はまだレイアウトデザイン優先で原作者名記載のルールは徹底していなかったと思われる。 一方、別冊少女フレンドでは「サンデイズチャイルド」連載第二回掲載号である11月号から表紙に原作者名が記載されるようになっており、やはりこの時期に原作者名表記について講談社内で意識改革が進められたようである。
『なかよし』1981年4月号は「きらら星の大予言」完結記念に「愛のイラスト詩集 Kiraraメモワール」と題された、12星座の占いと名木田恵子(水木杏子)のショートポエム、あさぎり夕のイラスト(一部描き下ろし)を組み合わせた蛇腹型小冊子の付録がつけられた。
また3月号付録のサイン帳「きららのメモリアルカード集」にも名木田恵子のポエム「花の香りのことばで……」がそえられている。 「きらら星の大予言」はグリコのお菓子にタイアップ起用されており、連載当時「スポロガム」にはライティングデスク型のプラスティック玩具とシールがつけられ、ソフトキャンディ「シャンテオー・レ」のパッケージと懸賞用グッズのハンカチーフにもイラストが使われている。 「星座はめぐる! ◆ 名木田恵子 2002-05-08 (Wed) 21:56:14 カーテンが揺れる12月の小窓 漫画原作を書いていた頃 PART 3
漫画作品ではないが、『なかよし』1979年10月号には「千鶴と夕のSecret Memory」というノートが付録としてつけられていた。名称通り"高橋千鶴"先生と"あさぎり夕"先生のイラスト入りのノートなのだが、高橋先生のイラスト表紙の右とじノートを開くと、片側ページは高橋先生のワンポイントイラストをあしらったノート紙、その裏面は「ストーリー:名木田恵子、イラスト:あさぎり夕」による「さよならの森」という絵物語で構成されている(高橋千鶴のカラーイラストと名木田恵子のポエム「口ぐせ」を組み合わせた口絵も一枚有)。
描きおろしのイラストは故あさぎり先生の公式サイト「あさぎり夕らんど」のイラストギャラリーに「妖精の涙」というタイトルで別テキストを添付した上で全ページ分が再録されている。 オリジナルテキストは名木田恵子公認ファンサイト「妖精村」に作者の許諾を受けた上で再録されていたのだが、妖精村が活動終了してしまったために現在ではインターネットアーカイブ経由でしか閲覧できない。流石に小説作品をまるまる無断転載する訳にもいかないので、ここではweb.archive.orgのリンクを貼るだけにとどめる。
参考: ステアの戦死とアンソニーの「バラの死」 イラスト・テキスト共に埋もれさせるのは惜しい作品なので、なんらかの形で復刻してほしいのだが。
『週刊少女フレンド』 1979年18号ではカラー企画「阿保美代のミニ絵本 高原のはるかなる恋人へ――まつむし草」のテキストを担当している。(古書店くだん書房さんの目録内に冒頭の見本有)
同年の20号ではアンネ株式会社のティーン向け啓蒙企画としてやはり阿保美代のカラーイラストと名木田恵子のポエムという組み合わせによる「いつか翔ぶ日」が掲載された。
また、同誌年末の数号では応募者全員プレゼント企画として、翌80年版の手帳「FRIEND DIARY 1980」が希望者に配布されたが、各月扉ページは人気漫画家のカラーイラスト+星座をモチーフにした名木田恵子のポエムという仕様だった。
講談社『月刊ミミ mimi』 1979年3月号では「フォトイメージ恋人に To My Sweetheart」と題して、カメラマン武藤義による西城秀樹の写真に名木田恵子が詩を添える企画が掲載されている。
カーテンが揺れる12月の小窓 漫画原作を書いていた頃 PART 3
『ひとみ』1981年3月号付録「プルミエ・ミュゲ メモリアルサイン色紙」には名木田恵子名義によるポエム「思い出のページ」が添えられている。
講談社少女誌での企画ものへのテキスト提供は続いており、
『週刊少女フレンド』1978年1月20日(2号)とじこみ付録「’78フラワーカレンダー」は、12ヶ月の花をテーマにしたポエムと人気漫画家のイラストを組み合わせた企画。
同誌12月20日号(24号)のクリスマス特集企画「大和和紀クリスマス絵本『妖精たちのロンド』」は名木田恵子の連作ポエムと大和和紀のカラーイラストを組み合わせた企画であった。 また月刊『なかよし』1978年8月号付録「メルヘンイラスト詩集」は名木田恵子のショートポエムに高橋千鶴、たかなししずえ、松島裕子のイラストを組み合わせた蛇腹型ミニイラスト集になっている。 1978年3月号『なかよし』付録のサイン帳「キャンディの思い出ノート」にもポエム「思い出の箱」がそえられているが、こちらは水木杏子名義で書かれている。
半分開いた12月の小窓 漫画原作を書いていた頃 PART 2
その瞳はわたししか見ない 月のしずくを髪に ミシュリヌは生きるよろこび ミシュリヌ十五さい
「キャンディ・キャンディ」の第一回掲載号である1975年4月号には、前年10月号から連載されている原ちえこ作画の「うたえ!ポピーちゃん(名木田恵子 名義)」と、前年12月号から連載されている志摩ようこ「ロリアンの青い空(加津綾子 名義)」 の最終回が掲載されており、同じ号に同一原作者名が幾つも並ぶのを避ける為に、名木田恵子は別名義の水木杏子を使用する事となった。
(梶原一騎の『巨人の星』連載終盤に開始された同原作者の『あしたのジョー』では、梶原の別名義である高森朝雄が使用されたのと同じ) キャンディ連載中にも『なかよし』には名木田恵子原作による読切作品や短期集中連載が何度か掲載されており、その際には加津綾子、香田あかね等の別PNが使用されている。 なかよし1975年4月号には
なかよし1975年9月号には
なかよし1975年12月号には
なかよし1976年5月号には
キャンディ連載以前では なかよし1975年3月号に
11月の小窓 漫画原作を書いていた頃 PART 1 半分開いた12月の小窓 漫画原作を書いていた頃 PART 2 半分開いた12月の小窓 漫画原作を書いていた頃 PART 2
「エトルリアの剣」は原作ではなく「原案」表記になっているが、それに関しては2003年に名木田恵子公認ファンサイト掲示板上で説明がされている。
レモン色の落葉と夕焼け 投稿者:名木田恵子 投稿日:12月15日(月)19時03分8秒 |
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