講談社『なかよし』誌における「キャンディ・キャンディ」連載終盤、企画立ち上げから密に作品と関わっていた初代担当者が抜けて新たな担当に交代してから、立て続けに三件の原作原稿改変トラブルが起こっている。
アリステア・コーンウェルの戦死
1999年インタビューにて漫画原作の仕事から退いた理由をたずねられて。
水木:それは……、私にとってはとてもとても大切なステアが亡くなるシーンが原因で……。ステアは戦争に行って、空中戦で戦死するんだけど、そのときね、敵国のすばらしいパイロットと対戦して、まんがではそのパイロットともステアのパイロットとしての腕に友情を覚えるの。そのとき、ステアが誰だか分からない人の手で撃たれてしまう。 水木:(略)でもね、空中戦で撃たれるのは同じだから、これは私のこだわりでしょうね。ちょうどその時は海外に行っていて、いがらしさんのネームの相談にものれなかったし。私の責任でもあるの。(略)
1980年初出のエッセイ「我が友、キャンディ」にも同内容の記述がある。
我が友、キャンディ
問題の回を収録した『月刊なかよし』1978年12月号は11月3日ごろ発売。
文脈からすると、原作原稿の入稿時に新担当と綿密な打ち合わせを行なった上で海外旅行に出たが、旅行中に作画者と二代目担当編集者が原作の意図を無視した改変を加えてネームからペン入れまで済ませて入稿、原作者の帰国時には既にゲラ刷り段階まで進んでいたということらしい。 アンソニーの「バラの死」
ちなみに「アンソニーの死」についても原作者の初期構想とは違った展開になっているが、これについては漫画家の意向とは全く関係なく、原作執筆段階で初代担当編集者と原作者の話しあいの末に、「やむなし」と受け入れた上で修正し最終入稿している。
該当発言のあるエッセイ「キャンディとであったころ」はもともと1999年当時、水木杏子旧公式サイトで連載されていたものだが、後に原作者公認ファンサイトに保存を委託され、無断転載、二次使用禁止、サイト内記事の直リンク禁止という条件のもとで公開されている。原作者とサイトオーナーの意向を尊重した上で閲覧願いたい(ファンサイトに委託した理由については名木田恵子公認ファンサイト妖精村にて事情説明のログが保存されていたのでそちらも御一読を)。 参考:水木杏子公認ファンサイトMisaki's Candy Candy 内「キャンディとであったころ」最終回~バラ色の死~
エッセイ内でアンソニーの死による退場の源流としてオルコットの『八人のいとこ』があげられているが、正確には続編の『花ざかりのローズ』を指すと思われる。ちなみに『~ローズ』ではスコットランド氏族の若き族長と孤児の少女の恋愛というモチーフも登場する。
尚、「少年が薔薇の毒で死ぬ」という詩的イメージは、後に『なかよし』1979年10月号付録「千鶴と夕のSecret Memory」に収録された「さよならの森(イラスト:あさぎり夕)」という絵物語で生かされている。
参考: 名木田恵子/水木杏子 原作漫画リスト1979年度
小ネタだが、1977年頃に学研『Fair Lady (フェアレディ)』の編集部で名木田恵子(水木杏子)氏の原稿取りを担当していた方のブログ記事によると、『キャンディ・キャンディ』連載中、既に死亡したキャラをうっかり登場させてしまい電話口で修正を伝えたことがあったそうだ。どのキャラのことだろうか。
参考:ディープ・タマちゃん Tamachan the onion deep (May 10, 2005) 原稿取りの日々 『なかよし』1978年6月号インタビュー
『なかよし』1978年5月号で「キャンディ・キャンディ」は第3部完結、翌6月号では休載し、代わりに「いがらし・水木両先生に緊急インタビュー キャンディ・キャンディ第4部はどうなる?」と題した記事が掲載された。以下、前半部を抜き書き。
テリィとキャンディのこれからは……? イライザとニールがまたまた大活躍!
……と、このように連載中も原作者の存在は周知されていたにもかかわらず、「原作者は名ばかりの存在」と吹聴して権利を否定するいがらし先生とそれに追従する日本マンガ学会は強心臓極まりない。
「三つの愛」と「母親探し」(略)みなし子だから母を探すという今までの常識を度外視して前向きに生きる女の子の人生に3つの愛――ひとつめははかないアンソニーとの初恋、透明感のある男の子とのやさしさだけの愛、次にテリィとの激しい青春の愛、好きでも別れなければならない愛、最後にアルバートさんとのおだやかな愛を入れて書きました。
孤児が主人公でも「母親探し」はしない(母もの、出生の秘密もの、貴種流離譚にはしない。過去ではなく明日をみつめる少女の自立を描く)というのも各種インタビューで繰り返し語られている作品の根本精神であり、『まんが原作者インタビューズ』でも連載開始時に決定したコンセプトとして再度言及されている(キャンディの母親に関する下世話な妄想を吹聴する人たちがいるせいかもしれない)。
(略)いくつか決めたことは、「母親探しはやめよう」ってこと。親が誰であれ、運命を受け入れて、ひとりで生きていくことが大事なんだってことを言いたかった。
ケイブンシャの大百科には「キャンディを生んだすてきな”おねえさま”水木杏子先生」のインタビューと共に、「キャンディの笑顔で日本中を魅了したいがらしゆみこ先生」の第一回講談社まんが賞受賞のよろこびの声を記したページもある。
(略)「キャンディ・キャンディ」は、私がかいてきたまんがの中では、いちばん長い連載です。原作者の水木杏子さんと私との間に生まれ「なかよし」の編しゅうの方たちと、私の仲間たちに栄養をもらいながら育ってきた子供のような気がします。
いがらしゆみこと組んで原作者に無断でキャンディグッズを製造販売した業者は、驚いてコンタクトをとった水木杏子に「原作者だという証拠をみせろ」と言い放ったそうだが、単行本の表紙やアニメOPのテロップ、放映当時のキャラクターグッズに原作者表記があり、キャンディブーム当時には各種媒体で原作者が顔出しでインタビューに答えている上、いがらしゆみこ自身が水木杏子を「原作者」に位置付けている発言も山ほどあるのだが……版権詐欺の片棒をかつぐような企業はどこも強心臓極まりない。
参考:『キャンディ・キャンディ』の設定やキャラクターに関する原作者発言を含む記事
1970年(昭和45年)~2009年(平成21年)まとめ 名木田恵子 原作漫画リスト 1970年 (昭和45年) 名木田恵子 原作漫画リスト 1971年 (昭和46年) 名木田恵子 原作漫画リスト 1972年 (昭和47年) 名木田恵子 原作漫画リスト 1973年 (昭和48年) 名木田恵子/加津綾子 原作漫画リスト 1974年 (昭和49年) 名木田恵子/香田あかね/水木杏子/加津綾子 原作漫画リスト 1975年 (昭和50年) 名木田恵子 原作漫画リスト 1976年 (昭和51年) 名木田恵子 原作漫画リスト 1977年 (昭和52年) 新連載なし 名木田恵子/水木杏子 原作漫画リスト 1978年 (昭和53年) 名木田恵子/水木杏子 原作漫画リスト 1979年 (昭和54年) 名木田恵子/水木杏子 原作漫画リスト 1980年 (昭和55年) 名木田恵子/水木杏子 原作漫画リスト 1981年 (昭和56年) 名木田恵子/水木杏子 原作漫画リスト 1982年 (昭和57年) 名木田恵子 原作漫画リスト 1983年 (昭和58年)~1985年 (昭和60年) 新連載なし 名木田恵子/水木杏子 原作漫画リスト 1986年 (昭和61年) 名木田恵子 原作漫画リスト 1987年 (昭和62年)~1989年 (平成1年) 新連載なし 名木田恵子 原作漫画リスト 1990年 (平成2年) 名木田恵子 原作漫画リスト 1991年 (平成3年)~2008年 (平成20年) 新連載なし 名木田恵子/水木杏子 原作漫画リスト 2009年 (平成21年) 名木田恵子/水木杏子 原作漫画リスト(番外) 横槍メンゴ「赤い実はじけた」他
リストは2018年末に活動終了した"名木田恵子公認ファンサイト妖精村(管理人:春野さくら氏)内「あじさい屋敷」"(リンク先:web.archive.org January 17, 2004 03:29:56)のデータをベースに加筆修正及び一部書影添付。
妖精村が活動再開した際には本ブログのデータは削除する可能性有。
キャンディ裁判とは直接の関係のない記事なのですが、作画者と親しい漫画業界人が理事をつとめている"日本マンガ学会"という団体が「少女マンガの女王いがらしサンに、新人だった水木さんは当初言われるままに書かされてきた」等の虚偽情報を長期にわたり流布してきたという事情を考慮し、水木杏子(名木田恵子)が講談社の少女誌でどのようなキャリアを重ねて、『キャンディ・キャンディ』連載当時はどのようなポジションだったのかを判断するための資料として掲載することにしました。
参考:『キャンディ・キャンディ』の設定やキャラクターに関する原作者発言を含む記事
高級オリジナル現代版画?
旧記事では、漫画家のボッタクリ複製画商売のパイオニア、いがらしゆみこ先生の『キャンディ・キャンディ』偽版画を 「ジクレ」と書いていたのですが、お詫びして訂正いたします。
単なるオフセット印刷でした。 作画者・いがらしゆみこによる横領の被害者、原著作者・水木杏子の公式掲示板発言によると、 深夜のお答え ◆ 水木杏子 1999-10-02 (Sat) 00:47:57 ◆ 水木杏子 1999-12-02 (Thu) 18:59:33 和解について また願う事 ◆ 水木杏子 1999-12-09 (Thu) 19:01:02
…あれかなぁ。ウォーターレスで解像度の高い美術印刷用のオフセット?
だとしても、製造原価が二束三文なのに違いはないんだけど。 これをフジサンケイアドワーク(現・クオラス)は 最新最高の技術を駆使した、最高級版画
とブチあげて、通販やイベントで売りさばいていたわけです。
尚、産経新聞に何度も掲載された通販広告には、 高級オリジナル現代版画
とあります。
芸術作品、ねぇ…。 "Lithographic reproduction"という英語表記が、なんとも微妙ですな。 外部参考サイト:違法複製原画被害者の声(キャンディ・キャンディ虐待問題内)
この額装偽版画、裏面を水貼りテープで封印した上に、いがらしゆみこのサインを入れてあるのですね。
ファン心理として、わざわざテープをカッターで切ってまで中の画を直接見ようとはしないであろう、という計算に基づいた仕様。 外部参考サイト:複製原画の額について(キャンディ・キャンディ虐待問題内) フジサンケイアドワーク(現・クオラス)による(極めて疑わしい)にせ版画販売情報開示
書類作成: 板倉由明(フジサンケイアドワーク)
フジサンケイアドワークの<にせ版画>売り上げリスト ◆ 水木杏子 2000-02-19 (Sat) 15:45:58
※「高級版画」「リトグラフ」「ミックスドメディア」などという名称で販売された『キャンディ・キャンディ』の額装オフセット印刷は、後々ネットオークションなどに出品されたものから判断して通常ナンバー以外にも番外エディションが多量に存在する為、総刷り枚数は現在も判明していない。
中古市場ではこれらキャンディ・キャンディ偽版画のAPエディションで分母50のナンバー入り・直筆サイン有が見つかっているが、それらとは別にAPのみでナンバー無し・直筆サイン有の品も少なからぬ量が流通している。 参考:偽版画&違法原画販売~20年目でも新ネタ 日本マンガ学会による絵画商法擁護
と、このようなボッタクリ商法を原著作者・水木杏子に無断で行ったいがらしゆみこ大先生とフジアドは、当然のように原著作者から訴えられ、最高裁まで争って全面敗訴。
ぼったくり偽版画は販売差し止め措置をうけました。正義は勝つ。 …にもかかわらず、この判決が不服な皆さんがいるのですね。 その団体の名は「日本マンガ学会」 。
日本マンガ学会著作権部会は、2005年10月13日の第3回著作権部会の席上で、
マンガ家がストーリー作家の合意なしに、商品化の許諾を与えて製作したグッズの販売が不能となって損害を蒙った業者は、利害関係人であるから、 これらのグッズの販売を許諾(合意)しない作家を訴えることが、現状打破の一つの突破口にならないか。
つまり、詐欺まがいのボッタクリ商売を勝手に行った挙句、原著作者・水木杏子から販売差し止め措置を喰らって偽版画を売れなくなった業者は 可哀相な被害者だから、マンガ学会のバックアップにより邪悪な加害者・水木杏子に対する訴訟を起こし、販売許可をせまろう!
…という大変アグレッシブな議論が交わされたのだそうです。すごいや! 外部参考サイト:第3回著作権部会(日本マンガ学会公式サイト内)
しかし日本マンガ学会の見解では、この判決は「理不尽」なんだそうですよ。すごいや! 日本マンガ学会は、2004年4月京都精華大学での著作権研究フォーラムでも、原著作者・水木杏子には出席のオファーもせずに、作画者・いがらしゆみこのみを招いて「最高裁判決は不条理」と悲劇のヒロインあつかいで持ち上げておりました。 国際日本文化研究センター助教授・山田奨治の見解
更に、このフォーラムに出席した国際日本文化研究センター助教授・山田奨治先生の著書『日本の著作権はなぜこんなに厳しいのか』(2011年9月刊行)によると、 原著作者が法に訴えてまで販売差し止めをしなければならなかった"真の理由はわからない"んだそうですよ。なんと素晴らしい日本の知性!!
外部参考サイト: mociの日記 山田奨治「日本の著作権はなぜこんなに厳しいのか」人文書院 (スラッシュドット・ジャパン内) 参考: キャンディ・キャンディ事件最高裁判決後のできごと ***さん、フジサンケイアドワークの偽版画を購入なさった方たちに ◆ 水木杏子 2000-12-27 (Wed) 00:10:13 原画について考えている事 ◆ 水木杏子 1999-09-23 (Thu) 22:26:21
ほんの少しでも資料をあたれば虚偽情報であるとすぐに判明するような事ではありますが、たまたま当時問題のプリクラが設置されていたゲームセンターの特集記事が掲載された雑誌(『コミック・ゴン! 第1号 』1997年ミリオン出版刊)を入手したので、公益性を考慮してこのページで紹介する事にします。
(「キャンディ・キャンディ事件」最高裁判決は著作権関連事件について議論する際の重要な基準のひとつとなっており、 資料の公開は版権ビジネスに携わる多くの人々にとって公益性があるとの判断により、当ページ内の画像は「報道目的の引用」としてアップしております) 東京ガリバー松戸店
その為、「東京ガリバー松戸店」には、バンプレのゲームやプライズマシンの新作が他店に先行して設置されていたのです。要するに「ロケテ」の実施店になっていた訳。
マニアの間では有名な店舗であり、私も当時ポケモンのプライズマシン目当てにはるばる千葉まで電車で訪れた事が何度かありました。 プリント倶楽部をはじめとした各社の写真シール機も同様であり、人気ギャルゲーのフレームなどが設置されると普段は新宿や秋葉原のゲーセン常連をやってる面々が松戸まで遠征に来るという光景も見られました。 無論、プリクラの利用は有料です。設置期間中にゲームセンターを訪れた客ならば誰もが利用できます。 全国展開の参考にする為のデータ取りを目的とした先行設置なので「テスト」「試作機」という表現も間違いとは言えませんが、立派な商行為です。 「イベント限定」「バンプレストのショールームに実験的に設置」は明らかな虚偽、ミスリードでしょう。 (たとえ無料だろうと権利者に無断でキャラクター商品を作成して不特定多数の客に提供するのは違法行為ですが) キャンディ・キャンディ韓国正規版DVDは「正規版」ではありません
現在「キャンディ・キャンディ 正規版DVD」を称してネット通販されている韓国や台湾製のDVDソフトは、原著作者・水木杏子と東映アニメーションの許諾を受けずに製造販売されている海賊版です。
2007年の春から、韓国で許可なく<キャンディ・キャンディ>の不正アニメ放送が堂々と開始されてしまいました。
東映動画が講談社を介して取得していた『キャンディ・キャンディ』の放送権・ソフト化権は1995年に失効。未だ権利を保持していた時点で外国企業に許諾した放映権等も2001年までには全て失効しています。海外では期限切れの契約書を悪用した「正規許諾品のように偽装した海賊版」がしばしば販売されていますので、うっかり購入したり、正規品であるような誤情報を広めたりせぬようにくれぐれも気をつけてください。
尚、東映も原作者も許諾していない台湾海賊版を正規品と称して販売している齊威國際多媒體股有限公司(Power International Multimedia Inc.)は、台湾における いがらしゆみこ氏のビジネスパートナーです。
参照: 正規品を称する海賊版アニメDVDのカラクリ 原作者・水木杏子がアニメ『キャンディ・キャンディ』再放送に反対した事は一度もありません
原著作者・水木杏子(名木田恵子)は、東映アニメ『キャンディ・キャンディ』の再放送やソフト販売に反対したことはありません。それどころか裁判当時も判決後も「再放送はいつでもOK」と公言しています。
そもそもアニメ版キャンディ・キャンディを世に出せなくなったのは、原著作者と作画者の両名が(株)講談社との二次使用の契約を解除した為、(株)東映が作品を動かせなくなったからです。 キャンディ・キャンディの権利関係の基本
『なかよし』掲載最終回とアニメの放映日
ちなみに『キャンディ・キャンディ』の最終話が掲載された『なかよし』1979年3月号は2月3日発売。アニメ版最終話放映は、同年2月2日。
アニメの製作スケジュールからして、明らかに、最終話の脚本はいがらし作画の漫画原稿に基づくものではありません。 最終四話くらいは、原作者の先行提出したプロットから直接脚本執筆されているものと思われます(『巨人の星』も同パターン)。 にもかかわらす作画者は「最終話は原作を無視して自分ひとりで描いた」と吹聴してまわっているのです。 キャンディ・キャンディ事件の発端
『キャンディ・キャンディ』の大ヒットにより若くして原稿料の高い大御所作家になったものの、その後のオリジナル作品では顕著な売り上げを出せずに90年代半ばからは講談社からも干されるようになった作画者・いがらしゆみこ。
同じ頃、いがらしゆみこの同郷の友人である本橋浩一が代表取締役社長をつとめていた日本アニメーション株式会社も、シリーズの視聴率低下により伝統ある名作劇場放映枠を失いつつありました。 そんな作画者・いがらしゆみこと日本アニメーションは、『キャンディ・キャンディ』を名作劇場枠で再アニメ化して、フジサンケイグループぐるみのキャラクタービジネスをもくろんだのです。 いがらしゆみこは「講談社はキャンディは要るけどいがらしは要らないのよ」と不遇を訴えて、原著作者・水木杏子に哀願。 迷った末に講談社との義理よりもいがらしとの友情をとった原著作者・水木杏子は、いがらしと共に講談社との契約を解除(1995年2月26日)。 講談社との契約によって放映権その他を持っていた東映としては、新たに水木・いがらし両氏と契約を結びなおさなければ『キャンディ・キャンディ』の放映・ソフト化はできません。 なので当然、東映の担当者は新たな契約に関する打ち合わせをするべく、両者にコンタクトを求めて何度も書面を送りました。原著作者・水木杏子も同様に、作画者・いがらしゆみこに何度も連絡をしました。 しかし作画者・いがらしゆみこは居留守をつかって話し合いを忌避。 その間に作画者・いがらしが何をしていたかといえば、原著作者・水木にも商標権保持者の(株)東映にも無断で管理を任せたフジサンケイアドワーク(現・クオラス)と共に『キャンディ・キャンディ』キャラクターグッズの許諾を多数の企業に行っていたのでした(1996年秋)。 バンプレストの災難
そのフジサンケイアドワークといがらしゆみこから許諾を受けた会社の一つが、(株)バンプレスト。
バンプレストの担当者・吉田明氏曰く (略)
吉田明氏は往年のキャンディブームの際、ポピーの関連会社の「吉田企画」でキャンディ人形を企画制作した経歴のある人。
水木杏子がポピーの「ポピーちゃん人形」のタイアップ漫画「うたえ!ポピーちゃん(作画:原ちえこ)」「あいLOVEポピーちゃん(作画:峡塚のん)」を『なかよし』誌上で連載していたこともあり、その縁がその後の『なかよし』とポピー、バンダイの長い蜜月のひとつのきっかけとなっている模様。 ちなみにその後、「バンプレストの担当者」は配置換えになったようです。 いがらしゆみこ公式サイトにあった文章によると、 水木さんの異常な抗議にバンプレストは承諾を得ることを断念しました。
…との事ですが、ダミー会社の実態の確認ミスで、バンプレの得意先である東映と権利トラブルの最中であるいがらしゆみこに加担してしまった事で、詰め腹を切らされたというのが実情でしょう。
当サイト内の関連記事: 『キャンディ・キャンディ』のプリクラ(プリント倶楽部/写真シール機)について 商標権問題
東映及び原著作者・水木杏子は、地裁判決後いがらし側が上告して更に争うことがなければ違法グッズを追認して事態を収拾するつもりでいました。
水木杏子公式サイト掲示板過去ログより 信用を失うということ ◆ 水木杏子 2002-04-16 (Tue) 23:32:43 アジアに広がった作画者発の違法キャンディ・キャンディグッズ
原作者・水木杏子の願いもむなしく、作画者・いがらしゆみこは裁判中も敗訴後も「水木とは和解した」「上告したから判決は確定していない」と業者に更なる違法キャンディビジネスを煽りました。
尚、高裁に上告する際にいがらし側弁護団が利用したのが、現在マンガ学会監事をつとめている牛木理一 弁理士の論文「連載漫画の原作とキャラクターの絵との関係(『パテント』1999年7月号)」。 東映はこの後数年間、国内外(香港、マカオ、中華人民共和国、シンガポール、マレーシア、ブルネイ、台湾、タイ、ハワイ)で販売された、自社の商標権を侵した多量の『キャンディ・キャンディ』グッズへの対応に悩まされることになります。 東映といがらしゆみこが完全に決裂した商標登録無効審判
更に作画者・いがらしゆみこは2001年7月10日に東映アニメーションに対して商標登録無効審判を起こしますが、これは却下されました。
1999年8月23日付けで、原著作者・水木杏子と東映との間で「『キャンディ・キャンディ』の名称を東映アニメーションが商標登録することに同意する」旨の同意書を締結していた為です。 水木杏子公式サイト掲示板過去ログより アニメと商標権について ◆ 水木杏子 1999-10-18 (Mon) 23:24:09
いがらしゆみこ公式サイト(旧)より
◆いがらしゆみこから水木さんへ Ⅱ 2000年12月27日 日本マンガ学会監事・牛木理一 弁理士の論文
この商標登録無効申し立ての際、いがらし側が「東映が商標を抑えているのは不当」という主張の根拠に利用したのが、これまた現マンガ学会監事・牛木理一 弁理士の論文。
1976年当時は、出版社はキャラクターマーチャンダイジングを直接行うノウハウは持っていませんでした。 出版社が意識的にアニメ化とグッズの版権管理をやりはじめたのは、1981年の『ドクタースランプ』あたりからです。 ですから、当時としてはアニメ会社の(株)東映に商標権を取得させ、管理を任せた方が作家・出版社ともに効率の良いビジネスが出来る、現実的な対応であったと言えます。 当時も、その後の二十数年間も、東映は何ら背信行為を犯すことなく誠実に『キャンディ・キャンディ』のブランドイメージを高め、保持してきました。 また、ローティーン向け少女漫画雑誌『なかよし』の人気作品であった漫画『キャンディ・キャンディ』を幅広い年齢層にアピールするタイトルに育て上げ、更に海外でまで知名度を高めたのは東映の功績です。 「不当」といわれる筋合いはありません。 再放送の為のハードル
このように東映の商標権を侵して多数の違法グッズを世界中にばら撒き、東映に対し商標登録無効審判を起こす一方で、作画者・いがらしゆみこは東映に対し、「再放送をいつでも許諾する」との申し入れもしています。
そして、原著作者・水木杏子も「再放送はいつでもOK」と表明しています。 原著作者は権利関係にうといまま作画者の口車に乗って講談社との契約を解除してしまった為に、ビジネス上の混乱をまねいたことを非常に反省しています。 また「アニメ版は自分だけの作品ではなく、フィルムを作った多くの東映スタッフや声優たちのものでもある」「海外では漫画版を知らないアニメのみのファンが多い」という認識なので、「東映の権利を侵した違法グッズさえ始末がつけばアニメの許諾は可能であろう」と常々公言していました。 商標権と海外のアニメのこと ◆ 水木杏子 1999-08-18 (Wed) 15:04:10 アニメーションのリメイクについて 名木田恵子 いがらしゆみこの「漫画原作者の権利否定」に追従した日本マンガ学会
しかし、作画者・いがらしゆみこは裁判が終わった後もさまざまな場で「水木杏子は原作者ではない」と公言しています。
良識派の漫画家や編集者はこのようないがらしゆみこの言動には眉をひそめていますが、長谷邦夫、牧野圭一のように「漫画原作者の権利否定」に追従する業界人も少数ながら存在しています。 この両名が参加している日本マンガ学会にいたっては、原著作者である水木杏子に出席のオファーすらせずに、作画者・いがらしゆみこのみに都合のいい主張をさせて最高裁判決を否定する事を目的としたフォーラムを開催。 参照外部リンク: 水木杏子公式サイト内「アニメの再放送について」 400字詰原稿用紙2,000枚の原作原稿=「走り書きの文字原稿」
いがらしゆみこの顧問弁護士と親しい日本マンガ学会監事・牛木理一 弁理士は、かねてより「アニメーション映画の製作者という二次的著作物の著作権者の立場にすぎない東映が商標権を専有しているのは問題あり」と主張していました。
それが更に「走り書きの文字原稿(=400字詰原稿用紙2,000枚分の小説形式の原作原稿を指す)」を書いただけの水木杏子を原著作者と「決め付けた」最高裁判決も不当と発言。 そして日本マンガ学会著作権部会は「いがらしゆみこが東映の商標権を侵して無断で制作したグッズ」に対して販売許可を出さずに差し止めた原著作者の行為は「正当な理由がない権利の濫用」であるから、グッズ業者は原著作者に対して裁判を起こすべき、という提言までする始末。 そして現在、国内で販売差し止めされた違法キャンディ・キャンディグッズが韓国で大量に販売されているという報告もあります。 東映アニメーションの立場
作画者が原著作者の権利を否定している現状では、東映としても新たな契約書など作れるものではありません。
70年代に製作された全115話のフィルムをデジタルリマスターにかけるには、相当の費用がかかります。 やっとリマスターを終了しソフトの生産を行っている途中で、また新たなトラブルが起こって発売中止になった場合、東映の損失は莫大なものになります。 そんなバクチは営利企業として打てるはずもありません。 以下、水木杏子公式サイト過去ログ発言。 アニメの再放送の誤解のことなど ◆ 水木杏子 2002-05-13 (Mon) 16:43:45 No.146 >おたずねのことなど
…という訳なので、原著作者・水木杏子と(株)東映アニメーションには、アニメ版『キャンディ・キャンディ』お蔵入りの責任はありませんので、その点ご理解ください。
文句を言いたいなら作画者・いがらしゆみことそのシンパの日本マンガ学会にね。 追記
作画者は2007年台湾で『キャンディ・キャンディ』のメインキャラに酷似した、『甜甜Lady Lady』と称する「オリジナル新作」のキャラクタービジネスを展開。
最高裁判決を愚弄するのみでなく、東映が保持している『レディレディ』の商標権を侵害する行為であり、東映アニメーションといがらしゆみこの関係修復は暗礁に乗り上げたと見てよいでしょう。 キャンディ・キャンディ事件解決の為に最大限の尽力をした講談社
梶原一騎の著作権を否定した いがらしゆみこ
まず地裁における いがらしゆみこ氏の主張を記します。
<証人尋問>でいがらし氏はこう証言しています。
つまり、原作者がキャラクターデザインにまで参加し、作画資料を提供し、ネーム形式で書かれた原作原稿でない限り、「漫画原作」としての法的権利は有しないという主張です。
漫画『キャンディ・キャンディ』の原作は400字詰原稿用紙2,000枚超に書かれた小説形式のものである為に、「原作」ではなく単なる「参考資料」に過ぎないというのです。 近年はネーム形式の原作者も増えましたが、日本の漫画史を築き上げてきた多くの漫画・劇画原作者、例えば梶原一騎、福本和也、小池一夫、雁屋哲、武論尊、牛次郎、工藤かずや、佐々木守… といった大御所作家たちの原稿は小説形式や脚本形式で書かれています。 万が一にも いがらし氏の主張が法廷で認められ、判例となっていたら、このような大御所作家たちの著作権は否定され、彼らが人生をかけて紡いできた物語は「単なる参考資料」に貶められ、創作者としての名誉も法的権利も奪われてしまうところでした。 そのような悪夢を防いだのが、講談社が裁判所に提出した仔細な陳述書だったのです。 講談社の『キャンディ・キャンディ』担当編集者(企画立ち上げから第3部完まで)だった清水満郎氏が98年3月、地裁に提出した陳述書の要約1.『キャンディ』の誕生理由
また、事件以前は いがらしゆみこ氏自身も「企画は編集部」「自分に話が持ち込まれた時には既に原作をつけることが決まっていた」と公言していました。
参照: アニメック第23号(昭和57年4月)ザ・プロフェッショナル第四回 「原作付き漫画」の著作権
講談社版権事業推進部長・新藤征夫氏が98年10月、地裁に提出した陳述書の要約。
1.「原作付き漫画」の著作権
新藤氏は地裁判決の翌朝の新聞にも同様のコメントを寄せております。
漫画「キャンディ・キャンディ」の版権を以前管理していた出版元の講談社の新藤征夫・版権事業推進部長の話 講談社顧問弁護士の見解
講談社社史編纂室部長・竹村好史氏 談
――――講談社が「原作が原著作物である」という判断をしたのはなぜですか?
(株)講談社の見解では初めから「水木杏子は”原著作者”」であり、連載時からその見解に沿った法的処理がなされていました。
にもかかわらず、日本マンガ学会では「最高裁判決で水木を原著作者と位置づけたのは、漫画界の実情を反映しない不条理な判決」とネガティブキャンペーンをはり、原著作者をカヤの外に置いて作画者一人を著作権フォーラムにまねき、最高裁判決を非難しました。 そればかりでは終わらず、 日本マンガ学会著作権部会は、2005年10月13日の第3回著作権部会の席上で 「キャンディ・キャンディ」のマンガ部分は、二次的著作物という解釈ではなく、ストーリー部分との共同著作物であるとなぜ解釈できないのか。
等と最高裁判決及び講談社法務部の法的見解を非難し、原著作者・水木氏と商標権保持者である(株)東映アニメーションの正当な権利を侵して違法グッズを制作販売した業者を「被害者」と位置づけ、新たな裁判を起こすための扇動まで行っています。
「いがらしの為の企画」ではなかった
講談社社史編纂室部長・竹村好史氏 談
「『世界の名作のいいところを全部出せないか』というようなコンセプトだったと思います。そんな露骨な言い方はしなかったとは思いますが……。 東京地裁の判断
東京地裁判決文
しかし、本件においては、前記第二、一(前提となる事実関係)に証拠(甲一、一二、丙一の1ないし5、二の1ないし4、三ないし七、九、一〇)及び弁論の全趣旨を総合すれば、 講談社側の証言まとめ
講談社側の証言を総合すると、
ということのようです。 日本マンガ学会理事が教育現場を含む様々な場で吹聴している、「少女マンガの女王いがらしサンに、新人だった水木さんは当初言われるままに書かされてきた」が真っ赤な嘘であることは明白です。 講談社が再びキャンディ・キャンディの著作権管理をする可能性
講談社社史編纂室部長・竹村好史氏 談
――――講談社が再び著作権を管理するという話はなかったのですか?
いがらし側の意向は不明ですが、原著作者・水木杏子氏の方は作画者の口車に乗って講談社との契約を切ったことが一連の横領詐欺の始まりであり、
この事件後、すべてを元に戻し講談社、東映アニメに私の権利を任せることができたらと願っております。
と表明しています。
また、漫画本に関しては 水木は講談社以外、許可しないつもりですが、その版元、講談社でさえ問題がきれいに解決しない限り、出版することはないでしょう。
とも宣言しています。
現在、講談社と『キャンディ・キャンディ』という作品の間には、何の法的関係もありません。 講談社がふたたび『キャンディ・キャンディ』を出版・版権管理をするには、新たに水木・いがらし両氏と契約を結び直さねばなりません。 その際には当然、講談社法務部の以前からの法的見解であり、最高裁判決によっても再度確認された「水木杏子は原著作者」「漫画作品『キャンディ・キャンディ』は原作原稿の二次的著作物」に則った契約書が作成されるはずです。 しかし、作画者・いがらしゆみこは現在も「最高裁判決は不条理」「水木を原著作者とした最高裁判決は不当」「原作と称する文字を書いただけの人に絵に関する権利を与えるなど受け入れられない」と、公私にわたって主張しており、日本マンガ学会も作画者の主張に同調しています。 このような現状では、講談社としても復刊のためのアクションはとれません。東映アニメーションの立場も同様です。 また、現在にいたるまで、作画者・いがらしゆみこは、原著作者・水木杏子氏、商標権保持者・東映アニメーションに対し、何の謝罪も表明しておらず、今まで行ってきた不正ビジネスに関する情報公開も拒んでいます。 事件が未解決のままでは、作品の正常化は到底不可能です。 その様な現状に加え、日本マンガ学会が原著作者・講談社・東映を陥れるような情報操作を行っている上、違法グッズ業者を煽って新たな裁判を起こす「提言」までしているのです。 事件の沈静化とキャンディビジネスの早期正常化は、原作者・講談社・東映、そしてファンの切なる願いでした。 しかし、その願いは日本マンガ学会の介入によって踏みにじられました。 日本マンガ学会理事等によって流されたデマ(「講談社は裁判で証言しなかった」等)が正され、紛糾した事態が治まるまでには、長い時間が必要でしょう。 (略) ――では、『キャンディ・キャンディ』が出たところで、そのお話を。まず、原作つきですとどんなプロセスで展開しますか。
↑企画は編集部で、自分に話が持ち込まれた時には既に原作をつけることが決まっていた、と語ってますね。
水木氏の証言や『封印作品の謎』に掲載されている講談社の担当編集者の陳述内容と一致しています。 それが契約違反で訴えられた途端に 「キャンディ・キャンディ」は私と担当の編集者との間で企画が生まれ、後にストーリー補強のため原作者を選ぶ形で制作を開始した作品
などという主張を始めるわけです。しかも、相手によって、時期によって、
「水木はうちのプロダクションで時代考証関係の資料整理をやってただけの人間。手違いで原作者として表記された」 「水木は『時代考証はよくわからないから、後はおゆみよろしくね!』と丸投げだった」 「水木の原作はペラ一枚に走り書きしただけの到底原作などと呼べないシロモノだった」 「水木の原作は無闇に長くて、私が大幅に改編して構成し直さなければ使い物にならなかった」 …と発言内容がコロッコロ変わる。 最終回にいたっては、周囲の人間には「最終回の内容はとっくの昔に決めていた。原作は見ずに書いた」と言いながら、裁判所に「水木が原作を書いていない証拠品」として最終回の原作原稿に「ここはカット。ここは改変して使用。ここは使用」とマーカーで注釈を入れて提出。 こんな調子のいがらし氏が吹聴している話を鵜呑みに出来る人の精神構造ってのも、良くわかんないよね。 『まんが原作者インタビューズ(同文書院1999年)』より水木杏子の発言
ご参考までに、伊藤彩子・著『まんが原作者インタビューズ―ヒットストーリーはこう創られる!』同文書院 (1999/10)より、水木杏子が語る「キャンディ・キャンディ」の連載企画の発端について。
――『キャンディ』っていうのは、いがらしさんが連載をやることが決まってて、編集サイドから企画が出されて、じゃあ原作者は誰にしようってことで水木さんにお話がきたんですか。
連載中の漫画家との打ち合わせについて。
――原稿を編集者に渡したら、もう雑誌に載るまで見ないっていう感じだったんですか?
こういう手順で作られていった事実を、いがらし氏と親しい漫画業界人は「少女マンガの女王いがらしサンに、新人だった水木さんは当初言われるままに書かされてきた」などと意図的に歪曲して流布してきたわけです。
はじめに
web.archive.org で大半のデータは拾えるものの
参照外部リンク: web.archive.org「キャンディ・キャンディを守る会」 非常に貴重な発言集である「水木先生への質問と回答」のページは不具合が出て閲覧不能。 サービス終了前にウェブ魚拓で保存しておきましたが、 参照外部リンク: 「キャンディ・キャンディを守る会内<水木先生への質問と回答>」2016年1月22日 19:22のウェブ魚拓 短縮リンク: http://gyo.tc/16mSe どうせなら参照しやすいように保存しておくほうが公益性があるかと思い、このページで再公開する事にしました。 質問1 いがらし先生は本当に水木先生を原作者と認めていないのか?それはいつからか? 質問2 いがらし先生は、なぜ今になって漫画「キャンディキャンディ」はご自分ひとりだけの権利と主張されるのですか? 質問3 漫画『キャンディ』のキャラクターをいつ、どこで、だれが描いたとしても、それが『キャンディ』に登場するキャラクターである以上、その絵はすべて漫画『キャンディキャンディ』を背景として描かれていると思うのですが、このことについて、いがらし先生はどのように思われますか?(一般的に、原作者の<絵>の権利がその漫画本の中に記載されている<絵>だけにあるとはとても思えないのですが) 質問4 キャンディキャンディを今後どうするつもりで裁判を続けておられるのか? 質問9 いがらし先生・水木先生は、<お二人の「キャンディキャンディ」>として後世に残すつもりはないのですか? 【水木杏子の回答】 質問10 両先生は、なぜ「講談社」との契約を解除されたのでしょうか?(それまでずっと講談社だったのになぜかと思いまして) 【水木杏子の回答】質問10 質問11 質問というよりもお願いになると思うのですが、いがらし先生・水木先生のお考えになる「事実」と「事実と異なる憶測・誹謗中傷など」の違いを教えていただけないでしょうか? 【水木杏子の回答】質問11 質問12 いがらし先生、水木先生にとって漫画「キャンディキャンディ」とは何ですか? 【水木杏子の回答】質問12 質問13 プリクラの件があきらかになったばかりの頃、お二人は直接お話される機会がありましたか? また話し合いに応じなかった事実はありますか? 【水木杏子の回答】質問13 質問14 <著作物>に関わる「同人誌」「インターネット」のファン活動を両先生方はどのようにお考えになりますか? 【水木杏子の回答】質問14 質問15 水木先生にお聴きします。原作つき漫画の「漫画家」について、どのように思われますか? 【水木杏子の回答】質問15 質問17 この裁判以前、お二人の原稿料(他、すべてのギャランティを含む)の比率に関して不満をお感じになったことはありますか? 【水木杏子の回答】質問17 質問18 両先生にお聴きします。 いがらし先生も水木先生のどちらも関知なさっていない「キャンディグッズ」の<海賊版>に対してどのような処置をとるべきか、そこまでのことをお考えになっているのでしょうか? 【水木杏子の回答】質問18 質問19 プリクラの件以前にお二人の話し合いの中で、キャンディグッズについてのご意見の違いはあったのでしょうか? 【水木杏子の回答】質問19 最後に 水木杏子からキャンディのファンへの手紙
水木杏子旧公式サイト内には「キャンディのファンのみなさまに」と題した原作者から愛読者へ向けた手書きメッセージの画像が掲載されていた。
参照リンク:web.archive.org 水木杏子旧公式サイト内「キャンディのファンのみなさまに」 できればリンク先の手書き文字のメッセージ自体を読んでほしいのだが、最近のネットユーザーは参照リンクを一切確認しない人の方が多いので、やむを得ずここに全文を転載する。原作者がファンに直接語り掛けたメッセージということで、「守る会」への回答と併せて紹介しておきたい。 キャンディのファンのみなさまに 水木杏子からキャンディス・ホワイト・アードレーへの手紙
同ページ内テキスト、原作者からキャンディへのメッセージ「キャンディに」も紹介しておく。
キャンディ
水木杏子/名木田恵子公認ファンサイト「妖精村」掲示板で、旧小説版復刊当時(2003年)に『なかよし』連載版と単行本との変更点について尋ねられての原作者解答。
わたしの中のキャンディ
※"育てている別の漫画家の連載(しかも、キャンディと似た作品)"はいがらしゆみこのアシスタント出身である原ちえこ作、西洋大河ロマンものの『フォスティーヌ』(1978年3月号より連載開始)を指していると思われる。
別記事(ステアの戦死とアンソニーの「バラの死」)でも触れたが、連載終了間近の号では度々作画者による原作改変をめぐるトラブルがあった。
(尚、名木田/水木の原作原稿は小説形式で書かれており、各キャラクターの科白まできちんと書き込まれている) 物語の流れとしては、
1. アルバート失踪
ひとり寂しさに震えるキャンディ モノローグ「どこにいるの……」 a. 「あたし はじめてアルバートさんを おいかけている……」「レイクウッドでさよならもいわずに別れた……」「ロンドンでも……」「だけど……またどこかで会えると信じていた いつかふっとあたしの前に立ってくれると……」 「いつだってそうだったから……」「あたしが悲しいときあたしがつらいとき いつもやさしく だきとめてくれるアルバートさんだから……」 「でもいまは……」 「会いたいの いますぐ会いたいのアルバートさん」「どこを さがしたらいいの……」 2. ロックスタウンから発送された小包届く 3. ドサまわりのテリィの姿を見る 客席にキャンディの「幻」を見たテリィは演技への情熱を取り戻し、 コマ1: テリィの背景のイメージシーンは『ブロードウェイで活躍する自分の姿』 モノローグ「よみがえるストラスフォードの日々…… ブロードウェイの舞台……」 コマ2: テリィモノローグ「これが おれの演技だ!」 4. 帰宅、ジョルジュが迎えに ひとりきりの部屋でアルバートとの思い出にひたるキャンディ おそろいのマグカップを見ながら回想「カーテンはこの色がすき!いいでしょ」「おそろいのパジャマかい」「イニシアルいりのモーニングカップ買っちゃった バーゲンでやすかったの」「いっしょにきめようっていったのに けっきょくキャンディ一人でえらんじゃうんだな」 モノローグ「ここは一人でくらすにはさびしすぎる……」 窓の外に元気な子供達の声。ポニーの丘の子供時代を思い出すキャンディ。 b. 「ポニーの丘……子どもたちのわらい声……」「ポニー先生……レイン先生……」「あたたかい窓べのあかり だんろの前のだんらん……」「帰ってらっしゃいキャンディ……ここがあなたの ふるさとよ……」 モノローグ「帰りたいポニーの丘に!」「ううん帰ろう!」「ひとりぼっちはいやだ!」「そして……ポニーの家からかよえるところに看護婦の仕事をみつけて……」 自分の原点を確認し、看護婦としての未来を見据えたところで部屋にノックの音。開けるとジョルジュ。
1. アルバート失踪
ひとり寂しさに震えるキャンディ。 枕の下から『王子様のバッジ』を見つける。ポニーの丘の子供時代を思い出すキャンディ。 b. 「ポニーの丘……子どもたちのわらい声……」「ポニー先生……レイン先生……」「かえってらっしゃいキャンディ……ここがあなたの ふるさとよ……」「あたたかい窓べのあかり だんろの前のだんらん……」 モノローグ「かえりたい!ポニーの丘に……」「ううんかえろう!」「ひとりぼっちはいやだ!」「そして……ポニーの家からかよえるところに看護婦のしごとをみつけて……」 胸元で『王子様のバッジ』の鈴が鳴る。 モノローグ「王子様のバッジ二つある!」「一つは……あたしがずっとつけていて……もう一つは まくらの下から……」「なぜ……こんなところに……」「このベッドはアルバートさんがつかっていて……」 「もしかして……もしかしてアルバートさんはアードレー家の人……?」 「アルバートさんは……」 「会って……会ってたしかめたい……」「アルバートさんどこにいるの……」 2. ロックスタウンから発送された小包届く 3. ドサまわりのテリィの姿を見る 客席にキャンディの「幻」を見たテリィは演技への情熱を取り戻し、 コマ1: テリィの背景のイメージシーンは『キャンディの笑顔』 モノローグ「キャンディ…… まぼろしであっても きえないでくれ!」 コマ2: テリィモノローグ「おれはいま おまえのために演じている!」 4. 帰宅、ジョルジュが迎えに ひとりきりの部屋でアルバートとの思い出にひたるキャンディ。 モノローグ「アルバートさん あたしポニーの家に帰ります」「ここは一人でくらすには さびしすぎる……」 a. 「アルバートさん……アルバートさんを あたしはじめて 追いかけてる……」「レイクウッドでさよならもいわずに別れた……」「ロンドンでも……」「だけど……またどこかで会えると信じていた いつかふっとあたしの前に立ってくれると……」 「いつだってそうだったから……」「あたしが悲しいとき あたしがつらいとき いつもやさしく だきとめてくれる アルバートさんだから……」 「会いたいの…… すぐにでも会いたいのアルバートさん……」 キャンディがアルバートに対する思慕をつのらせているところで部屋にノックの音。 モノローグ「アルバートさん!」 開けるとジョルジュ。 全体的に、漫画家による原作改変『なかよし』版は「キャンディ、テリィとも恋愛脳」 原作者の抗議により修正された単行本収録版は「キャンディ、テリィとも過去の苦しい恋愛を乗り越えて職業人として再起を決意」 冬の小窓~二つのバッジ
名木田氏は最終回前の数回分の原稿はまとめて執筆して編集に渡して旅行に出かけた為、連載時のいがらし氏によるエピソード配置の変更や無断改変・原作にないシーンの挿入には対応できなかった。
(ちなみにキャンディ終盤で名木田氏が旅行がちだったのは、毎日新聞社の「旅にでようよ」という雑誌で紀行エッセイを連載していた為。キャンディ最終回を執筆したフランス編を含めて『名木田恵子ひとり旅 』という単行本にまとまっている) 企画立ち上げ時の担当編集者と名木田氏はこの作品を「少女の成長ドラマ」と捉えていたが、漫画家と二代目担当は「スイートなラブストーリー」と解釈し、原作原稿を改変し自分達の望む方向に引っ張っていこうとしていたようだ。 帰国した名木田氏は漫画家に申し入れて単行本化の際には原作に沿った内容に改めさせ、エッセイ(「我が友、キャンディ」)などでは「幸い、担当もいがらし氏もこんな私をよく理解してくれた」と書いているが、実際のところいがらし氏は「私の仕事に上からケチをつけて…」と、内心不満を募らせていたのだろうと思う。 平成11年9月3日付けで旧いがらしゆみこ公式サイトにあげられた、一連の事件の自己正当化の声明文には、 4年半の長編で、私は名木田さんから参考資料として何一つ用意してもらったことはありませんでした。
とあった。現実には、名木田氏は確かにフランスのシャトーホテルで最終回を執筆したのだが、いがらし氏がネーム作業に入る前には帰国しており、いがらし氏や担当編集者と最終回の構成について電話で打ち合わせをしている。
事実関係としては、いがらし氏の声明文は真っ赤な嘘なのだが、意識的な捏造というよりも、長年腹に溜め込んでいた不満がフィルターになって過去の記憶が歪んでしまっているのではないかと思う。 つまり、実際に「名木田が旅行に行っていたせいで原作原稿を改変する相談ができなかった」のは、最終回(1979年3月号)ではなく最終回前に書き溜めて渡していった2話分(1979年1、2月号)の事。 その回について後からあれこれとクレームをつけられ、単行本化の際に原稿の書き直し作業を強いられたのを根に持っていた為に、四半世紀たって自己正当化の声明文を書く際に「自分の主観による感情的真実」としてああいう不正確かつ恨みがましい文章を書いてしまったと。 最終回の原稿について ◆ 水木杏子 1999-11-25 (Thu) 23:25:01
最終回執筆時のエピソードは『名木田恵子ひとり旅』やエッセイ「我が友、キャンディ」などで披露されている。
(略)
上記と同内容だが、発表時期が一番早い原稿と思われる1978年に『サンデー毎日』に連載された全6回のエッセイ「おんなの午後 名木田恵子編」のうち第4回「しあわせな主人公(ヒロイン)」を転載する。
十一月の半ば、十日ほど晩秋のパリを旅してきた。
『サンデー毎日』の1978年12月17日号は同年12月4日発売、「キャンディ・キャンディ」の最終回が掲載された『なかよし』1979年3月号はそれから約2ヶ月後の1979年2月2日発売のはず。一般週刊誌でも国民的大ブームとなった作品の完結はニュースとして注目され、今や「時の人」である原作者の創作秘話掲載が歓迎されたのだ。
短いエッセイとはいえ転載は著作権法上よろしくないのだが、いがらし氏と親しい日本マンガ学会理事が「いがらしは水木の原作原稿を一切見ずに最終回を描いた」などと虚偽を吹聴し、最高裁判決後の問題解決を困難にしたという事情があるため、当時を知ることができる貴重な資料としてあえて記録しておく(権利者より指摘があった場合は即座に消去します)。
参考:『キャンディ・キャンディ』の設定やキャラクターに関する原作者発言を含む記事
ビッグコミックスピリッツ掲載&単行本3巻
春の小窓<まんが編集者たちへの願い>のUPと<いきなり最終回>について ◆ 水木杏子 2001-03-10 (Sat) 17:18:32
小学館の担当編集者は講談社に仁義を通さず、漫画作画者に直接連絡し「水木さんには私が伝えておくから」という言葉を受けて漫画家に後処理を丸投げ。(懇意という程でもない「漫画家の先生」に、本来自分のすべき仕事を任せて手をわずらわせるというのもいかがなものなんだ)
その後は原作者には掲載誌の献本もしなけりゃ、単行本化の際も挨拶なし献本なし。 いがらしゆみこに献本していたかは不明。 (この件はいがらしさんが水木に連絡をしたことになっているようですが記憶にありません。しかし、その点は曖昧なのでわたしも何もいえません。)
いがらし氏が雑談の途中で話に出したのを水木氏が聞き流した等の可能性もなきにしもあらず、また、いがらし氏が悪意なくうっかり伝えるのを忘れていた、という可能性もなきにしもあらずではありますが。
……これに先立つ1991年刊行の『いきなり最終回 part3』の件がある以上、いがらし氏の「悪意なきミス」とは考えづらいのですよ。 参考:いきなり最終回part3の無断掲載 |
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2 月 2022
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