CANDY CANDY BOOTLEGS!!
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ステアの戦死とアンソニーの「バラの死」

5/6/2020

 
講談社『なかよし』誌における「キャンディ・キャンディ」連載終盤、企画立ち上げから密に作品と関わっていた初代担当者が抜けて新たな担当に交代してから、立て続けに三件の原作原稿改変トラブルが起こっている。
  1. 1978年12月号:ステア戦死
  2. 1979年1月号:二つのバッヂ
  3. 1979年2月号:ロックスタウン~帰宅
    ​
79年1、2月号については別記事( 『キャンディ・キャンディ』の最終回と「二つのバッヂ」事件 ~水木杏子公認掲示板過去ログより)で解説済みなので、本稿では『まんが原作者インタビューズ』での原作者発言を中心に「ステア戦死」改変事件と、その他の初期構想と連載時のライブ重視展開について紹介する。
まんが原作者インタビューズ 伊藤彩子 同文書院
まんが原作者インタビューズ―ヒットストーリーはこう創られる!
著者(インタビュアー): 伊藤 彩子
出版社: 同文書院 (1999/10)
ISBN-13: 978-4810376616

インタビューイ:矢島正雄、木内一雅、水木杏子、城戸口静、
田島隆、城アラキ、寺島優
01

アリステア・コーンウェルの戦死

1999年インタビューにて漫画原作の仕事から退いた理由をたずねられて。
水木:それは……、私にとってはとてもとても大切なステアが亡くなるシーンが原因で……。ステアは戦争に行って、空中戦で戦死するんだけど、そのときね、敵国のすばらしいパイロットと対戦して、まんがではそのパイロットともステアのパイロットとしての腕に友情を覚えるの。そのとき、ステアが誰だか分からない人の手で撃たれてしまう。
 実はこれは私の原作とは描かれ方が違うの。ステアが空中戦で、相手とパイロットの腕を競い合うまではそのままなんだけど、原作では競い合ってたその相手に撃たれるのね。ステアは育ちがいいの。戦争のすさまじさを理解しながらもどこか人間的に甘い――
 それが彼のやさしさであり私の好きなところなんだけれど、空中戦のさなかであっても相手のすごさに感動したり……。
 まんがでは相手もステアに感動してるんだけど、戦争ってそんな甘いもんじゃない、ステアがふっと相手に気を許したとき、その本人から撃たれてしまう……そう描きたかった。「僕って甘いな……」ってふっと笑って夕日に落ちていく。『撃墜王』とか、ステアを主人公にして物語を書いていたら、戦う相手との友情を描いたかもしれない。でも、『キャンディ』の中では、ステアに割けるコマはわずか。その中で、戦争の過酷さとステアのステキな甘さを書きたかった。

「まんが原作者インタビューズ」P166-167より
水木:(略)でもね、空中戦で撃たれるのは同じだから、これは私のこだわりでしょうね。ちょうどその時は海外に行っていて、いがらしさんのネームの相談にものれなかったし。私の責任でもあるの。(略)

​「まんが原作者インタビューズ」P167より
02
1980年初出のエッセイ「我が友、キャンディ」にも同内容の記述がある。
我が友、キャンディ
(略)
 それは物語も終りに近くステアが戦死する場面だった。
 原作では、ステアは撃墜王と堂々と戦い、ヒコーキを撃たれ戦死することになっている。が、漫画の方は戦いの間にステアと撃墜王の間に友情めいたものがめばえたとたん、誰だか分らぬ第三者の手によりステアのヒコーキは墜される。何度かうちあわせたはずなのに出来上がった絵をみて私はショックで胸がふるえた。
 大事な場面だった。ステアを愛しただけに涙ぐみながらラストシーンを書いた。
 戦争は甘いものではない。残酷で非情なものだろう。敵側と友情が生れるスキもないほど――私はそれも描きたかった。
 漫画としては素晴らしい出来だったが、私は心に穴があいたような気がした。物語の大きな流れの中では、ステアが誰に撃たれようとそう変化はないだろう。どちらの死がより良いか判断もつきにくい。
 が、すべてに満足している物語の中で、ステアの死だけが私の中で漫画と違つている。
 そのとき、私はしみじみと、これはたいへんな仕事だ、と思った。すべての原因は自分にあるのだ。
 私が担当も漫画家も一読して納得するような物語を書いていたら、私自身もショックをうけるような結果はまねかなかっただろう。長いつきあいで、私はいがらし氏に甘えている部分も多くあったかもしれない。もっと話しあうべきだった。『一人』で作っている作品ではないのだ、と私はその日痛感した。
(略)

『児童文芸』 一九八〇年陽春臨時増刊号「特集 子どもと漫画・その人気の秘密 自作を語る」「 我が友、キャンディ / 名木田恵子」より
問題の回を収録した『月刊なかよし』1978年12月号は11月3日ごろ発売。
文脈からすると、原作原稿の入稿時に新担当と綿密な打ち合わせを行なった上で海外旅行に出たが、旅行中に作画者と二代目担当編集者が原作の意図を無視した改変を加えてネームからペン入れまで済ませて入稿、原作者の帰国時には既にゲラ刷り段階まで進んでいたということらしい。
03

アンソニーの「バラの死」

ちなみに「アンソニーの死」についても原作者の初期構想とは違った展開になっているが、これについては漫画家の意向とは全く関係なく、原作執筆段階で初代担当編集者と原作者の話しあいの末に、「やむなし」と受け入れた上で修正し最終入稿している。

該当発言のあるエッセイ「キャンディとであったころ」はもともと1999年当時、水木杏子旧公式サイトで連載されていたものだが、後に原作者公認ファンサイトに保存を委託され、
無断転載、二次使用禁止、サイト内記事の直リンク禁止という条件のもとで公開されている。原作者とサイトオーナーの意向を尊重した上で閲覧願いたい(ファンサイトに委託した理由については名木田恵子公認ファンサイト妖精村にて事情説明のログが保存されていたのでそちらも御一読を)。

​参考:水木杏子公認ファンサイトMisaki's Candy Candy 内「キャンディとであったころ」最終回~バラ色の死~
エッセイ内でアンソニーの死による退場の源流としてオルコットの『八人のいとこ』があげられているが、正確には続編の『花ざかりのローズ』を指すと思われる。ちなみに『~ローズ』ではスコットランド氏族の若き族長と孤児の少女の恋愛というモチーフも登場する。
尚、「少年が薔薇の毒で死ぬ」という詩的イメージは、後に『なかよし』1979年10月号付録「千鶴と夕のSecret Memory」に収録された「さよならの森(イラスト:あさぎり夕)」という絵物語で生かされている。
参考: 名木田恵子/水木杏子 原作漫画リスト1979年度 
小ネタだが、1977年頃に学研『Fair Lady (フェアレディ)』の編集部で名木田恵子(水木杏子)氏の原稿取りを担当していた方のブログ記事によると、『キャンディ・キャンディ』連載中、既に死亡したキャラをうっかり登場させてしまい電話口で修正を伝えたことがあったそうだ。どのキャラのことだろうか。
参考:​ディープ・タマちゃん Tamachan the onion deep (May 10, 2005)  原稿取りの日々
04

『なかよし』1978年6月号インタビュー

講談社『なかよし』1978年6月号
『なかよし』1978年5月号で「キャンディ・キャンディ」は第3部完結、翌6月号では休載し、代わりに「いがらし・水木両先生に緊急インタビュー キャンディ・キャンディ第4部はどうなる?」と題した記事が掲載された。以下、前半部を抜き書き。
テリィとキャンディのこれからは……?
編集部:第三部は、キャンディとテリィの別れというおもいがけない結末で、読者からもたいへんな反響がよせられています。そこでズバリおききしたいのですが、これからの二人はどうなるのでしょう?テリィはもう、第四部には登場しないのですか?

いがらし先生:そんなことはないですよ。

編集部:ということは、二人はまたむすばれるかも?

水木先生:さあ、どうかしら……。それはご想像におまかせします。

編集部:ひょっとして、テリィにかわる新しい男性があらわれるとか?

いがらし先生:これだけはハッキリいえますが、キャンディはそんなに浮気な女の子じゃないです。

水木先生:そう、二人の愛は、青春をかけた真剣な愛だったはずです。ただ一ついえることは、人間にはいろんな愛がありますね。だからキャンディに、テリィの場合とはまったくちがった大きな意味での愛が、また生まれる可能性はあります。

編集部:そうですか。でも、キャンディがあまりにもかわいそうという声が多いのですが、第四部ではかの女はしあわせになれるでしょうか?これは、すべての読者の願い、いや祈りだと思うのですが……。

いがらし先生:あたしたちも、心からそうなるように望んでいます。

水木先生:第四部も、キャンディにとってはけっして平たんな道ではないけれど、かの女なら負けないわよ。
イライザとニールがまたまた大活躍!
編集部:三月号でキャンディに別れをつげたステアも、気になる存在ですね。

いがらし先生:そう!第四部ではステアのしめるウエートが大きくなるの。すごくいいんだから。

水木先生:印象的な存在ね。それにイライザとニール……。

編集部:エッ?それじゃ二人は、心をいれかえるのですか?

水木先生:ううん。反省の色はまったくなし。ますますにくたらしくなって、動きまわるの。

編集部:ああ、そうですか。じゃ、また二人には、そうとうイライラさせられそうですね。
……と、このように連載中も原作者の存在は周知されていたにもかかわらず、「原作者は名ばかりの存在」と吹聴して権利を否定するいがらし先生とそれに追従する日本マンガ学会は強心臓極まりない。
05

「三つの愛」と「母親探し」

ケイブンシャ『キャンディ・キャンディ大百科』
ついでに昭和55年6月25日初版発行ケイブンシャの『キャンディ・キャンディ」大百科』より、原作者インタビューページ。
(画像左上は最終回を執筆したフランスのシャトーホテルの写真)

目新しい発言はないが、その後のインタビューやエッセイで何度も繰り返している「キャンディの三つの愛」についてはこれが初出かそれに近いものではなかろうか。
(略)みなし子だから母を探すという今までの常識を度外視して前向きに生きる女の子の人生に3つの愛――ひとつめははかないアンソニーとの初恋、透明感のある男の子とのやさしさだけの愛、次にテリィとの激しい青春の愛、好きでも別れなければならない愛、最後にアルバートさんとのおだやかな愛を入れて書きました。
孤児が主人公でも「母親探し」はしない(母もの、出生の秘密もの、貴種流離譚にはしない。過去ではなく明日をみつめる少女の自立を描く)というのも各種インタビューで繰り返し語られている作品の根本精神であり、『まんが原作者インタビューズ』でも連載開始時に決定したコンセプトとして再度言及されている(キャンディの母親に関する下世話な妄想を吹聴する人たちがいるせいかもしれない)。
(略)いくつか決めたことは、「母親探しはやめよう」ってこと。親が誰であれ、運命を受け入れて、ひとりで生きていくことが大事なんだってことを言いたかった。
 キャンディを書いた当時、私は母を亡くして二年目だったかな……。十二歳で父を亡くしていて、一人っ子なので、本当にひとりになってしまった。二五年もたった今だからそう感じるのだけれど、キャンディを書くことで癒されていったと思う。いくら考えても仕方のないことは振り返らず、先に進まないと!明日はもっといいことがあるかもしれないんだから。

​「まんが原作者インタビューズ」P167-168より
ケイブンシャの大百科には「キャンディを生んだすてきな”おねえさま”水木杏子先生」のインタビューと共に、「キャンディの笑顔で日本中を魅了したいがらしゆみこ先生」の第一回講談社まんが賞受賞のよろこびの声を記したページもある。
(略)「キャンディ・キャンディ」は、私がかいてきたまんがの中では、いちばん長い連載です。原作者の水木杏子さんと私との間に生まれ「なかよし」の編しゅうの方たちと、私の仲間たちに栄養をもらいながら育ってきた子供のような気がします。
 連載は終わりましたが、私たちの子供、キャンディは、今も私の心の中に生きつづけています。キャンディを愛し、かわいがってくれたみなさん、どうかこれからもずっと、あなたの心の中で、キャンディを育て、見まもっていってあげてください。
いがらしゆみこと組んで原作者に無断でキャンディグッズを製造販売した業者は、驚いてコンタクトをとった水木杏子に「原作者だという証拠をみせろ」と言い放ったそうだが、単行本の表紙やアニメOPのテロップ、放映当時のキャラクターグッズに原作者表記があり、キャンディブーム当時には各種媒体で原作者が顔出しでインタビューに答えている上、いがらしゆみこ自身が水木杏子を「原作者」に位置付けている発言も山ほどあるのだが……版権詐欺の片棒をかつぐような企業はどこも強心臓極まりない。
参考:『キャンディ・キャンディ』の設定やキャラクターに関する原作者発言を含む記事
  • 『キャンディ・キャンディ』の最終回と「二つのバッヂ」事件
  • 『キャンディ・キャンディボックス : なつかしいポニーの丘から』について
  • 『小説キャンディ・キャンディFINAL STORY』に関する著者一問一答
  • 復刊ドットコム版『小説キャンディ・キャンディ』刊行の経緯
  • 『キャンディ・キャンディ』の年表とキャラクターの生年月日
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名木田恵子/水木杏子/加津綾子/香田あかね 原作漫画リスト

8/24/2019

 

1970年(昭和45年)~2009年(平成21年)まとめ


名木田恵子 原作漫画リスト 1970年 (昭和45年)

名木田恵子 原作漫画リスト 1971年 (昭和46年)

名木田恵子 原作漫画リスト 1972年 (昭和47年)
 
名木田恵子 原作漫画リスト 1973年 (昭和48年)

名木田恵子/加津綾子 原作漫画リスト 1974年 (昭和49年)

名木田恵子/香田あかね/水木杏子/加津綾子 原作漫画リスト 1975年 (昭和50年)

名木田恵子 原作漫画リスト 1976年 (昭和51年)

名木田恵子 原作漫画リスト 1977年 (昭和52年) 新連載なし

名木田恵子/水木杏子 原作漫画リスト 1978年 (昭和53年)

 名木田恵子/水木杏子 原作漫画リスト 1979年 (昭和54年)

名木田恵子/水木杏子 原作漫画リスト 1980年 (昭和55年)

名木田恵子/水木杏子 原作漫画リスト 1981年 (昭和56年)

名木田恵子/水木杏子 原作漫画リスト 1982年 (昭和57年) 

名木田恵子 原作漫画リスト 1983年 (昭和58年)~1985年 (昭和60年) 新連載なし
 
名木田恵子/水木杏子 原作漫画リスト 1986年 (昭和61年)

名木田恵子 原作漫画リスト 1987年 (昭和62年)~1989年 (平成1年) 新連載なし

​名木田恵子 原作漫画リスト 1990年  (平成2年)

名木田恵子 原作漫画リスト 1991年 (平成3年)~2008年 (平成20年) 新連載なし

名木田恵子/水木杏子 原作漫画リスト 2009年  (平成21年)

名木田恵子/水木杏子 原作漫画リスト(番外)  横槍メンゴ「赤い実はじけた」他
リストは2018年末に活動終了した"名木田恵子公認ファンサイト妖精村(管理人:春野さくら氏)内「あじさい屋敷」"(リンク先:web.archive.org January 17, 2004  03:29:56)のデータをベースに加筆修正及び一部書影添付。
​妖精村が活動再開した際には本ブログのデータは削除する可能性有。
キャンディ裁判とは直接の関係のない記事なのですが、作画者と親しい漫画業界人が理事をつとめている"日本マンガ学会"という団体が「少女マンガの女王いがらしサンに、新人だった水木さんは当初言われるままに書かされてきた」等の虚偽情報を長期にわたり流布してきたという事情を考慮し、水木杏子(名木田恵子)が講談社の少女誌でどのようなキャリアを重ねて、『キャンディ・キャンディ』連載当時はどのようなポジションだったのかを判断するための資料として掲載することにしました。
参考:『キャンディ・キャンディ』の設定やキャラクターに関する原作者発言を含む記事
  • 『キャンディ・キャンディ』の最終回と「二つのバッヂ」事件
  • 『キャンディ・キャンディボックス : なつかしいポニーの丘から』について
  • 『小説キャンディ・キャンディFINAL STORY』に関する著者一問一答
  • ステアの戦死とアンソニーの「バラの死」
  • 復刊ドットコム版『小説キャンディ・キャンディ』刊行の経緯
  • 『キャンディ・キャンディ』の年表とキャラクターの生年月日
オマケ: いがらしゆみこ共同執筆者付き作品リスト1987年-1999年

フジサンケイアドワーク(現・クオラス)のキャンディキャンディ偽版画

6/23/2019

 
01

高級オリジナル現代版画?

旧記事では、漫画家のボッタクリ複製画商売のパイオニア、いがらしゆみこ先生の『キャンディ・キャンディ』偽版画を 「ジクレ」と書いていたのですが、お詫びして訂正いたします。

単なるオフセット印刷でした。
​
作画者・いがらしゆみこによる横領の被害者、原著作者・水木杏子の公式掲示板発言によると、
深夜のお答え ◆ 水木杏子 1999-10-02 (Sat) 00:47:57
(略)
<原画>ではなく明らかに<プリント物>を(版画家、美術連盟、印刷会社、漫画家に見ていただいた結果) <複製原画という名前で高級版画>として販売していた(いる?) のはわたしが信じる事実です。

すべて、フジサンケイアドワークの作成であり、漫画家のサイン入りです。

本物の版画家、というとおかしいですが
「こういったものをこんな価格で販売されたら 一生懸命、版画(自分で作成している)を 彫っている自分達はどうしたらいいのか」
というコメントも書いておきます。
(略)
◆ 水木杏子 1999-12-02 (Thu) 18:59:33
(略)<版画家><漫画家><美術家><印刷専門家>にみていただいて普通紙に(種類は調査中)4色印刷。 とわかっています。
刷った枚数がわからないので、(いがらしさんのサインと一緒に入っているナンバーも350/1、とか300/3とかいろいろなので)
原価は50円から300円まで、見せた人によってまちまちです。
(略)
和解について また願う事 ◆ 水木杏子 1999-12-09 (Thu) 19:01:02 
(略)
フジサンケイアドワークが作った偽版画の原価ですが
みんなの頭のなかでいろいろな値段になってしまったようなので・・・
30円(最低につけたひと)
500円(最高につけたひと)
で、30円から500円と書いたはずでした。
因みに一番多かった値段は 200円~300円です。
どちらにせよ暴利ですね。
(略)
…あれかなぁ。ウォーターレスで解像度の高い美術印刷用のオフセット?
だとしても、製造原価が二束三文なのに違いはないんだけど。

これをフジサンケイアドワーク(現・クオラス)は
最新最高の技術を駆使した、最高級版画
大変数多い工程を掛けて刷った版画
とブチあげて、通販やイベントで売りさばいていたわけです。

尚、産経新聞に何度も掲載された通販広告には、
画像
高級オリジナル現代版画
Lithographic reproduction


(略)高級の印刷技術による現代版画は、微妙な色彩はもちろん、ペンのタッチまで忠実に再現。その美しさは、まさに芸術と呼ぶにふさわしい仕上がりです。
(略)
貴重な芸術作品として、ぜひこの機会にお求めください。お部屋ばかりか、気持ちまで明るくしてくれる素敵な作品です。 
とあります。
芸術作品、ねぇ…。
"Lithographic reproduction"という英語表記が、なんとも微妙ですな。
外部参考サイト:違法複製原画被害者の声(キャンディ・キャンディ虐待問題内)
この額装偽版画、裏面を水貼りテープで封印した上に、いがらしゆみこのサインを入れてあるのですね。
ファン心理として、わざわざテープをカッターで切ってまで中の画を直接見ようとはしないであろう、という計算に基づいた仕様。
外部参考サイト:複製原画の額について(キャンディ・キャンディ虐待問題内)
02

フジサンケイアドワーク(現・クオラス)による(極めて疑わしい)にせ版画販売情報開示

書類作成: 板倉由明(フジサンケイアドワーク)
タイトル 販売数:展示会(通販)
額無し絵のみの単価
愛しのテリィ 19枚(1枚)
30,000 yen (額装済 40,000 yen)
画面サイズ:235×164㎜
額縁サイズ:423×355㎜
夢の中のアンソニー 17枚(0枚)
30,000 yen
夢見るジョージィ 3枚(0枚)
50,000 yen
画面サイズ:340×257㎜
オータム・ラブ 18枚(2枚)
100,000 yen (額装済 120,000 yen)
画面サイズ:435×325㎜
額縁サイズ:560×475㎜
愛を伝えたい 17枚(0枚)
30,000 yen
こんにちは キャンディ 6枚(0枚)
80,000 yen
秋の日のジョージィ 2枚(0枚)
60,000 yen
画面サイズ:280×230㎜
愛の花をあなたに 4枚(0枚)
70,000 yen
アイ・ラブ・キャンディ 18枚(17枚)
100,000 yen (額装済 120,000 yen)
画面サイズ:408×355㎜
額縁サイズ:620×560㎜
すみれ色の夢 18枚(6枚)
80,000 yen (額装済 100,000 yen)
ベルベット・キャンディ 3枚(0枚)
110,000 yen (額装済 130,000 yen)
春の恋 20枚(12枚)
120,000 yen (額装済 140,000 yen)
画面サイズ:465×610㎜
額縁サイズ:640×785㎜
花をあげたい 11枚(0枚)
70,000 yen
ナースになったキャンディ 15枚(0枚)
60,000 yen
尚、作画者の利益率は売上額の5%とのこと。

外部参考サイト:フジサンケイアドワークの情報開示の嘘 (キャンディ・キャンディ虐待問題内)
フジサンケイアドワークの<にせ版画>売り上げリスト ◆ 水木杏子 2000-02-19 (Sat) 15:45:58 

(略)
こんなに売れ行き不振だったなんて・・・
まあ、原価は一枚30円~200円(500円はしないそうです)ですからフジサンケイアドワークも損はなさらなかったかもしれませんね。
買った方にはお気の毒ですが、少ない方がわたしはうれしい・・・被害者が少なくてすみます。
しかし、開発部長の板倉由明さんが作成した、この書面は<真実>でしょうか?

わたし自身、<愛しのテリィ>を通販で購入しました。
価格は 額付きで40000円。あのうすっぺらな額が10000円・・・

通販で購入したのは水木ひとりだったのでしょうか? (通販購入者 1ですから)
水木が買った<にせリトグラフ>には 350/101(通常なら350枚刷った中の101枚の意味)とあり、(いがらしさんもサイン付き)
その数字をめぐって不信ビームが飛び交い裁判長から時間を与えるから「もっときちんとした情報を開示するように」とフジサンケイアドワークの弁護士は言われていました。(水木夫談)

(略)

このにせリトグラフを販売するために    <産経新聞での一面カラー広告>    その後も10回近い<産経新聞での広告>(数回はカラー)    <サンケイリビングにおける広告>

それだけでも、たいへんな広告料だったかとお察しします。
(略) 
※「高級版画」「リトグラフ」「ミックスドメディア」などという名称で販売された『キャンディ・キャンディ』の額装オフセット印刷は、後々ネットオークションなどに出品されたものから判断して通常ナンバー以外にも番外エディションが多量に存在する為、総刷り枚数は現在も判明していない。

中古市場ではこれらキャンディ・キャンディ偽版画のAPエディションで分母50のナンバー入り・直筆サイン有が見つかっているが、それらとは別にAPのみでナンバー無し・直筆サイン有の品も少なからぬ量が流通している。

参考:​偽版画&違法原画販売~20年目でも新ネタ 
03

日本マンガ学会による絵画商法擁護

と、このようなボッタクリ商法を原著作者・水木杏子に無断で行ったいがらしゆみこ大先生とフジアドは、当然のように原著作者から訴えられ、最高裁まで争って全面敗訴。
ぼったくり偽版画は販売差し止め措置をうけました。正義は勝つ。

…にもかかわらず、この判決が不服な皆さんがいるのですね。
その団体の名は「日本マンガ学会」 。
日本マンガ学会著作権部会は、2005年10月13日の第3回著作権部会の席上で、
マンガ家がストーリー作家の合意なしに、商品化の許諾を与えて製作したグッズの販売が不能となって損害を蒙った業者は、利害関係人であるから、 これらのグッズの販売を許諾(合意)しない作家を訴えることが、現状打破の一つの突破口にならないか。 
つまり、詐欺まがいのボッタクリ商売を勝手に行った挙句、原著作者・水木杏子から販売差し止め措置を喰らって偽版画を売れなくなった業者は 可哀相な被害者だから、マンガ学会のバックアップにより邪悪な加害者・水木杏子に対する訴訟を起こし、販売許可をせまろう!

…という大変アグレッシブな議論が交わされたのだそうです。すごいや!
外部参考サイト:第3回著作権部会(日本マンガ学会公式サイト内)
  • 出版社と原著作者を排除して自分ひとりがボロもうけしようと企んだ作画者のいがらしゆみこが、「自分は講談社から冷遇されている」と原著作者・水木杏子に泣き落としで迫って講談社との契約解除をさせた。
  • そして版権ゴロ弁護士の法の抜け道指南を受けて香港にダミー会社を作り、「水木杏子はウチの社のスタッフ」と業者をだまして契約を結び、大量のグッズでボッタクリ商売をはじめた。
  • あまりのことに堪りかねた原著作者が法的手段に訴えると、突然「水木杏子は名ばかりの原作者で、実は原作は書いていない」と大嘘をついて逃げ切ろうとした。
  • その一連の嘘が『キャンディ・キャンディ』の企画立ち上げからずっと担当していた講談社の編集者が提出した陳述書によって暴かれた。
  • そして講談社の法務部が提出した「原作連載当時から水木杏子は原著作者として位置づけられてきた。キャンディ・キャンディは明らかに水木の原稿に基づいて制作されたものである」という内容の陳述書と多くの裏づけ資料に基づいて、最高裁判決で「『キャンディ・キャンディ』の原著作者は水木杏子である」と再確認されたのが『キャンディ・キャンディ』事件の本裁判。

しかし日本マンガ学会の見解では、この判決は「理不尽」なんだそうですよ。すごいや!
​
日本マンガ学会は、2004年4月京都精華大学での著作権研究フォーラムでも、原著作者・水木杏子には出席のオファーもせずに、作画者・いがらしゆみこのみを招いて「最高裁判決は不条理」と悲劇のヒロインあつかいで持ち上げておりました。
04

国際日本文化研究センター助教授・山田奨治の見解

更に、このフォーラムに出席した国際日本文化研究センター助教授・山田奨治先生の著書『日本の著作権はなぜこんなに厳しいのか』(2011年9月刊行)によると、 原著作者が法に訴えてまで販売差し止めをしなければならなかった"真の理由はわからない"んだそうですよ。なんと素晴らしい日本の知性!!

外部参考サイト: mociの日記 山田奨治「日本の著作権はなぜこんなに厳しいのか」人文書院 (スラッシュドット・ジャパン内)
​
参考: キャンディ・キャンディ事件最高裁判決後のできごと
***さん、フジサンケイアドワークの偽版画を購入なさった方たちに ◆ 水木杏子 2000-12-27 (Wed) 00:10:13
​
​(略)
<著作権侵害>はむろんですが、この件でいちばん訴えたかったことは<読者をあざむくような”にせ版画”の製作販売をしないでほしい>ということでした。

それ関してはフジサンケイアドワークから一度も<今後も販売させてほしい>とはいってこなかったので、ほっとしています。
またフジサンケイアドワークが開示した<販売状況>については<まゆつば>と信用しておりませんが<すべて虚偽>とも思われず<あまり売れなかった>という主張が真実であるならば(いがらしさんに支払った額などでみるに) それは被害者が少ないともいえることで、それもほっとしています。

(略) <にせ版画事件>と<著作権侵害事件>は別件なのでふつうなら裁判長はとりあげてもくださらないでしょう。
しかしこの件をずっと見守ってくださっていた裁判長は<お気持ちは伺います>といってくださり<和解案の一つとして(水木)が賠償金を受け取らなければ(読者に返却する)方法もある>といってくださいました。
わたしは すぐに<その和解案ならいつでも応じる>と答えましたがいがらしサイドはむろんのことフジサンケイアドワークもその件についてのお応えはとうとうないまま判決を迎えました。
(略)   
原画について考えている事 ◆ 水木杏子 1999-09-23 (Thu) 22:26:21

​(略)
HPのなかでも書きましたが、<版画家><美術連盟>にもみてもらっています。<印刷会社>のひとも<ばったもん>といいました。
14~15万等という価格は<適正>ではありません。<版画>ではなく<プリント>だからです。わたしたちは、1万5千~3万が適正と判断しています。
むろん、これも漫画家のサインがはいっているから<これで適正>というファンはそれでいいでしょう。

しかし、そんな販売にも<原作者>が係わっていると思われたら・・・たまりません・・・・
(略)

『キャンディ・キャンディ』のプリクラ(プリント倶楽部/写真シール機)について

6/22/2019

 
はじめに
キャンディキャンディのプリクラ
 キャンディ裁判の直接的な契機となった『キャンディ・キャンディ』のプリクラフレームですが…

ネットの一部でこの商品について「イベント限定の試作品」「ショールームに試作機が設置されていただけ」というデマが流れているようです。
ほんの少しでも資料をあたれば虚偽情報であるとすぐに判明するような事ではありますが、たまたま当時問題のプリクラが設置されていたゲームセンターの特集記事が掲載された雑誌(『コミック・ゴン! 第1号 』1997年ミリオン出版刊)を入手したので、公益性を考慮してこのページで紹介する事にします。

(「キャンディ・キャンディ事件」最高裁判決は著作権関連事件について議論する際の重要な基準のひとつとなっており、 資料の公開は版権ビジネスに携わる多くの人々にとって公益性があるとの判断により、当ページ内の画像は「報道目的の引用」としてアップしております)
01

東京ガリバー松戸店

キャンディキャンディのプリクラ
『キャンディ・キャンディ』のプリクラが設置されていたのは、千葉県松戸市の「ピアザ松戸ビル」内にあった「東京ガリバー松戸店」。

この「ピアザ松戸ビル」は、当時上階にバンプレストの本社があり、階下の数フロアがバンプレスト直営の大型ゲームセンター「東京ガリバー」 になっていました(その後本社は移転、現在の東京ガリバーはナムコが運営)。
その為、「東京ガリバー松戸店」には、バンプレのゲームやプライズマシンの新作が他店に先行して設置されていたのです。要するに「ロケテ」の実施店になっていた訳。
マニアの間では有名な店舗であり、私も当時ポケモンのプライズマシン目当てにはるばる千葉まで電車で訪れた事が何度かありました。

プリント倶楽部をはじめとした各社の写真シール機も同様であり、人気ギャルゲーのフレームなどが設置されると普段は新宿や秋葉原のゲーセン常連をやってる面々が松戸まで遠征に来るという光景も見られました。

無論、プリクラの利用は有料です。設置期間中にゲームセンターを訪れた客ならば誰もが利用できます。 全国展開の参考にする為のデータ取りを目的とした先行設置なので「テスト」「試作機」という表現も間違いとは言えませんが、立派な商行為です。
「イベント限定」「バンプレストのショールームに実験的に設置」は明らかな虚偽、ミスリードでしょう。

(たとえ無料だろうと権利者に無断でキャラクター商品を作成して不特定多数の客に提供するのは違法行為ですが)

さらに詳しく

東映アニメ版『キャンディ・キャンディ』お蔵入りの現状

1/23/2019

 
01

キャンディ・キャンディ韓国正規版DVDは「正規版」ではありません

現在「キャンディ・キャンディ 正規版DVD」を称してネット通販されている韓国や台湾製のDVDソフトは、原著作者・水木杏子と東映アニメーションの許諾を受けずに製造販売されている海賊版です。
2007年の春から、韓国で許可なく<キャンディ・キャンディ>の不正アニメ放送が堂々と開始されてしまいました。

むろん、東映アニメは許諾などしていません。

東映アニメは、2007年、3月13日付けで放送を中止するように、韓国側に文書を送付する一方、<**Kim>という人物が関わっていたというところまで、つきとめたといいます。
東映アニメは、その後も<放送中止を求める>との姿勢でしたが、韓国での放送は開始され継続されているようです。

(略)残念ながら、いまや韓国ではTV放送だけではなく、DVD、漫画、グッズ、と<現在、韓国において出回っている“すべてのキャンディ関係”>のものは<著作権者の許可を得ていない海賊版>であることを、お知らせしておきます。

参照外部サイト:
水木杏子旧公式サイト内「韓国での不正アニメ放送、DVDについて」
東映動画が講談社を介して取得していた『キャンディ・キャンディ』の放送権・ソフト化権は1995年に失効。未だ権利を保持していた時点で外国企業に許諾した放映権等も2001年までには全て失効しています。海外では期限切れの契約書を悪用した「正規許諾品のように偽装した海賊版」がしばしば販売されていますので、うっかり購入したり、正規品であるような誤情報を広めたりせぬようにくれぐれも気をつけてください。
尚、東映も原作者も許諾していない台湾海賊版を正規品と称して販売している齊威國際多媒體股有限公司(Power International Multimedia Inc.)は、台湾における いがらしゆみこ氏のビジネスパートナーです。

参照: 正規品を称する海賊版アニメDVDのカラクリ 
正規品を装ったキャンディキャンディの台湾海賊版DVD
最高裁判決後の2008年08月、いがらしゆみこ氏の台湾におけるビジネスパートナー齊威國際多媒體股有限公司から発売された、(株)東映未許諾の『キャンディ・キャンディ』DVD ボックスセット)
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原作者・水木杏子がアニメ『キャンディ・キャンディ』再放送に反対した事は一度もありません

原著作者・水木杏子(名木田恵子)は、東映アニメ『キャンディ・キャンディ』の再放送やソフト販売に反対したことはありません。それどころか裁判当時も判決後も「再放送はいつでもOK」と公言しています。

そもそもアニメ版キャンディ・キャンディを世に出せなくなったのは、原著作者と作画者の両名が(株)講談社との二次使用の契約を解除した為、(株)東映が作品を動かせなくなったからです。
03

キャンディ・キャンディの権利関係の基本

  1. 『キャンディ・キャンディ』という物語の原著作者、つまり設定・キャラクター・ストーリーなどに関する権利を持っているのが水木杏子(名木田恵子)。
  2. 水木杏子の原著作物(文字原稿)に基づいて、月刊『なかよし』(講談社)1975年4月号から1979年3月号まで連載された、二次的著作物(漫画版)に関する著作権を持っているのが、原著作者・水木杏子と作画者・いがらしゆみこ。
  3. 原著作者と作画者から、漫画版『キャンディ・キャンディ』の二次使用に関する管理委託をされていたのが、(株)講談社。(契約書として取り交わしたのは、昭和51年4月1日付のものが最初)
  4. 講談社との契約によって映像化権・放映権を取得し、漫画版『キャンディ・キャンディ』の二次的著作物(アニメ版)を製作、全115話(1976年10月1日-1979年2月2日)を放映していたのが(株)東映アニメーション。
  5. さらに、当時キャラクター商品の管理販売に関するノウハウのなかった講談社に代わり、多岐にわたる品目に関して"キャンディ・キャンディ"の商標権を申請し管理していたのも(株)東映アニメーション。(商標出願は昭和51年7月23日から)
04

『なかよし』掲載最終回とアニメの放映日

ちなみに『キャンディ・キャンディ』の最終話が掲載された『なかよし』1979年3月号は2月3日発売。アニメ版最終話放映は、同年2月2日。

アニメの製作スケジュールからして、明らかに、最終話の脚本はいがらし作画の漫画原稿に基づくものではありません。 最終四話くらいは、原作者の先行提出したプロットから直接脚本執筆されているものと思われます(『巨人の星』も同パターン)。

にもかかわらす作画者は「最終話は原作を無視して自分ひとりで描いた」と吹聴してまわっているのです。
05

キャンディ・キャンディ事件の発端

『キャンディ・キャンディ』の大ヒットにより若くして原稿料の高い大御所作家になったものの、その後のオリジナル作品では顕著な売り上げを出せずに90年代半ばからは講談社からも干されるようになった作画者・いがらしゆみこ。

同じ頃、いがらしゆみこの同郷の友人である本橋浩一が代表取締役社長をつとめていた日本アニメーション株式会社も、シリーズの視聴率低下により伝統ある名作劇場放映枠を失いつつありました。
そんな作画者・いがらしゆみこと日本アニメーションは、『キャンディ・キャンディ』を名作劇場枠で再アニメ化して、フジサンケイグループぐるみのキャラクタービジネスをもくろんだのです。


いがらしゆみこは「講談社はキャンディは要るけどいがらしは要らないのよ」と不遇を訴えて、原著作者・水木杏子に哀願。 迷った末に講談社との義理よりもいがらしとの友情をとった原著作者・水木杏子は、いがらしと共に講談社との契約を解除(1995年2月26日)。


講談社との契約によって放映権その他を持っていた東映としては、新たに水木・いがらし両氏と契約を結びなおさなければ『キャンディ・キャンディ』の放映・ソフト化はできません。
なので当然、東映の担当者は新たな契約に関する打ち合わせをするべく、両者にコンタクトを求めて何度も書面を送りました。原著作者・水木杏子も同様に、作画者・いがらしゆみこに何度も連絡をしました。

しかし作画者・いがらしゆみこは居留守をつかって話し合いを忌避。

その間に作画者・いがらしが何をしていたかといえば、原著作者・水木にも商標権保持者の(株)東映にも無断で管理を任せたフジサンケイアドワーク(現・クオラス)と共に『キャンディ・キャンディ』キャラクターグッズの許諾を多数の企業に行っていたのでした(1996年秋)。
キャンディキャンディの「バッタもの」版画
キャンディ・キャンディの高額エウリアン版画  高級オリジナル現代版画と称する『キャンディ・キャンディ』オフセット印刷の広告(1997年産経新聞朝刊) 原価300~500円のオフセット印刷を最高級現代版画と称して3万円~14万円で販売した。
06

バンプレストの災難

そのフジサンケイアドワークといがらしゆみこから許諾を受けた会社の一つが、(株)バンプレスト。

バンプレストの担当者・吉田明氏曰く
    (略)
「いつだったかフジサンケイアドワークの朝井匡人専務といがらしさん、マネージャーの山本昌子さんが尋ねて来て、朝井専務が<キャンディの権利はうちでもらった>といった。
商談に入ったが、うちの会社は著作権でビジネスをしている、著作権に関しては神経を使っている。 水木さんが原作者であり著作権者であることは20年前アニメ化の時グッズを作ったので重々承知していた。
それで何回もいがらしさんに「水木さんは承知しているんでしょうね」と尋ねた。
すると3人はキャンディコーポレーションという会社を香港につくった。それに<水木さんも関係している>といって、どさっと机にキャンディコーポレイション関係だという書面を置いたのです。」


吉田さんはそれを確かめるまでもなく信じた、といっていました。

「それで、キャンディコーポレイションとプリクラの仮契約をしたのです。
なにしろいがらしさん本人が水木さんは承知の上というんですから。水木さんに確認取るのも失礼な話しだと思って」

とのいい訳でしたが、お気持ちがわからないでもありませんでした。 (略)

        参照外部リンク:
        水木杏子公式サイト内「陳述書:フジサンケイアドワークについて思うこと」
吉田明氏は往年のキャンディブームの際、ポピーの関連会社の「吉田企画」でキャンディ人形を企画制作した経歴のある人。
水木杏子がポピーの「ポピーちゃん人形」のタイアップ漫画「うたえ!ポピーちゃん(作画:原ちえこ)」「あいLOVEポピーちゃん(作画:峡塚のん)」を『なかよし』誌上で連載していたこともあり、その縁がその後の『なかよし』とポピー、バンダイの長い蜜月のひとつのきっかけとなっている模様。

ちなみにその後、「バンプレストの担当者」は配置換えになったようです。

いがらしゆみこ公式サイトにあった文章によると、
水木さんの異常な抗議にバンプレストは承諾を得ることを断念しました。
水木さんは結果的に好意的に動いてくれた担当者を転勤にまで追い込んでしまい、私は「何もそこまでしなくても。」と言い知れぬ怒りさえ覚えました。 
…との事ですが、ダミー会社の実態の確認ミスで、バンプレの得意先である東映と権利トラブルの最中であるいがらしゆみこに加担してしまった事で、詰め腹を切らされたというのが実情でしょう。

    当サイト内の関連記事:
    『キャンディ・キャンディ』のプリクラ(プリント倶楽部/写真シール機)について
07

商標権問題

東映及び原著作者・水木杏子は、地裁判決後いがらし側が上告して更に争うことがなければ違法グッズを追認して事態を収拾するつもりでいました。

水木杏子公式サイト掲示板過去ログより
信用を失うということ ◆ 水木杏子 2002-04-16 (Tue) 23:32:43

    (略)
<東映>は作品については二次使用者の立場なので商標権を侵害されてもずっといがらしさんに対してはたいへん気を遣った対応だったと思います。(しかし、商標権無効審判を起こされて からは、はっきりと対応が違っています)

<東映>は企業です。個人ではありません。そこが水木と全く立場の違う所です。 いくら侵害されても結果、<企業>として利益が上がればよいことなのです。
東映の利益とは<再放送(グッズが伴います)><海外への放映権><VDO,DVD販売>でしょう。

繰り返し書いてきましたが、東映のお考えは<地裁判決後>いがらしさんが控訴をあきらめれば <ダン、サンブライト>が勝手に作ったグッズの一部を引き取り販売してもよい、という姿勢でした。

つまり<不正品>を追認することで<正規品>に生まれ変わらせ<本当の不正品>を制圧する、 というやり方です。
それができれば、ダン、サンブライト、タニイと契約してしまった業者も助かり、海外の不正品も摘発できると、わたしも賛成でした。

しかし、事は最高裁までもつれこんでしまいました。
その間業者(ダン、サンブライト)たちは、海外11カ国とも契約していたことが判明しました。
世界中こんなにも<グッズ、DVD>などが蔓延してしまったこと、疑われても仕方がないでしょう。 ここまでになってしまったならば、もう手の打ちようがありません。

東映は、アニメの再放送を断念しました。海外においてももう無理でしょう。

なぜなら、そういった<違法の摘発>をしたとしても企業たる東映にはなんの利益もないからです。(水木は個人なのでこの点もまた立場が違います)

海外の違法行為を摘発するには莫大な費用がかかります。 それだけ費用をかけても<再放送、販売>のあてがたたないとしたら、なんのための摘発か、と思われても当然でしょうね。 そういった<不正VDO,DVD>がなくならない限り、もう、アニメには望みがないのです。

日本においても、このように不正が蔓延したままだと、まっとうな企業は手を出しません。
なぜなら、正規にグッズを出しても「これは不正品かも」という消費者の厳しい視線があり、紛らわしさが残るからです。
そういったことがクリーン化(浄化)されるには時間と努力が必要です。

水木が漫画をはじめすべてを<白紙>に戻さなければならない、と考えたのも以上のような理由からです。 曖昧な形のままでいたら、近づいてくる業者は(失礼ながら)まっとうなところはないと思っています。

<キャンディ>という作品はこういった最悪の事態になってしまいました。

キャンディはわたしにとっても大切な作品でした。 それを白紙に戻すことがどんな気持ちなのかはもう、お話する気力もありません。
ここで曖昧な立場をとれば、そうしたちょっとしたほころびから、また、なにがはじまるか想像に難くないのです。

今後も、同じ姿勢は守るつもりです。

        参照外部リンク:
        信用を失うということ ◆ 水木杏子 2002-04-16 (Tue) 23:32:43
08

アジアに広がった作画者発の違法キャンディ・キャンディグッズ

原作者・水木杏子の願いもむなしく、作画者・いがらしゆみこは裁判中も敗訴後も「水木とは和解した」「上告したから判決は確定していない」と業者に更なる違法キャンディビジネスを煽りました。

尚、高裁に上告する際にいがらし側弁護団が利用したのが、現在マンガ学会監事をつとめている牛木理一 弁理士の論文「連載漫画の原作とキャラクターの絵との関係(『パテント』1999年7月号)」。


東映はこの後数年間、国内外(香港、マカオ、中華人民共和国、シンガポール、マレーシア、ブルネイ、台湾、タイ、ハワイ)で販売された、自社の商標権を侵した多量の『キャンディ・キャンディ』グッズへの対応に悩まされることになります。
ラッキーコーポレーション(ラッキートレンディ)の違法『キャンディ・キャンディ』グッズ
株式会社ラッキーコーポレーション(現・株式会社ラッキートレンディ)の違法『キャンディ・キャンディ』グッズ
09

東映といがらしゆみこが完全に決裂した商標登録無効審判

更に作画者・いがらしゆみこは2001年7月10日に東映アニメーションに対して商標登録無効審判を起こしますが、これは却下されました。
1999年8月23日付けで、原著作者・水木杏子と東映との間で「『キャンディ・キャンディ』の名称を東映アニメーションが商標登録することに同意する」旨の同意書を締結していた為です。

水木杏子公式サイト掲示板過去ログより
アニメと商標権について ◆ 水木杏子 1999-10-18 (Mon) 23:24:09
 (略)
いまになって<漫画家>は放映を東映に要請しています。(昨年夏、たぶん違法グッズの宣伝になるから、と推測しています)

しかし、東映は<水木さんも許可しないと無理>と答えています。

水木は承諾していますし(いやだという理由はないので)東映も再放送などを希望しているなら、すぐにもできそうですが・・・
次の理由でどうにもなりません。

1 水木への侵害。<漫画家>が水木の著作権を認めない限り、漫画家ひとりの許可ではできません。
2 ・・・これが問題です。
 <漫画家>は東映の<商標権を侵害>しています。
    ・・・・・・・・・・

  (略)
東映は20年以上前のアニメ化の時それを申請して、以来、大切に保持(費用がかかります)してきました。それを漫画家は無視、勝手に業者と契約、グッズを世に出したのです。漫画家は無視したばかりか自分で<商標権>を申請しました。

東映は勿論、クレームをいえる立場ですが、二次使用者の弱みで強く抗議できません。漫画家がNO!といえば、再放送はできません。漫画家と水木がそろって承諾してはじめて可能なのですから。

しかし<商標権>を漫画家が保持していたら、東映はなんのビジネスもできずうるおうのは漫画家のみになります。(しかし、今の裁判で漫画家が敗訴すればひとりでビジネスはできません。)

(略)
この夏<漫画家>が申請したたくさんの商標のうち一部が通りそうになりました。
(東映は現在グッズをつくっていないため、著作権者である漫画家有利とおもわれたのでしょう。特許庁はこの事件を認識していないようです)

東映は驚き、意見書を出しました。それに水木は一審の判決を踏まえて、原作者としてアニメの再放送を望む立場にたち、東映が権利を持つ事が妥当として協力しました。
 (略)

また、現在 在庫をかかえて困惑する業者から許可してほしい、といわれても商標権を侵害している商品の許可などできないのです。
わたしが<違法グッズ>というのは<著作権><商標権>と二重の侵害の意味があるからです
 (略)
いがらしゆみこ公式サイト(旧)より
◆いがらしゆみこから水木さんへ Ⅱ 2000年12月27日
 (略)
そこで、私はこのような問題が起こるのであれば、現在登録できる商品については自分で「キャンディ・キャンディ」の名称を商標登録しておこうと考えて、平成9年10月頃に特許庁に商標登録を申請しました。

すると、特許庁から私が著作権者であるにもかかわらず、原作者として水木さんの名前がある以上、水木さんの許諾なくしていがらしゆみこ単独で商標登録をすることはできないという回答があり、商標登録を拒絶されました。

 (略)
そこで、平成12年7月10日、私は、東映アニメーションの「キャンディ・キャンディ」の商標登録は著作権者である私の許諾がないので無効であるとして、特許庁に対して商標無効審判請求をしました。

ところが、審理の中で、水木さんが東映アニメーションとの間で、「キャンディ・キャンディ」の名称を東映アニメーションが商標登録することに同意する旨の同意書を締結していたことが(締結日、平成11年8月23日)、明らかになりました。

著作物の題名は、著作権者の承諾がなければ商標登録することはできないというのが特許庁の取扱であり、その意味では著作物の題名を商標登録することは著作者の権利でもあるのです。

私にはどうして水木さんが自分は「キャンディ・キャンディ」の著作権者であると自負しておられるのに東映アニメーションにその題名を商標登録させておくことを安易に認めたのか理解できません。

裁判の結果、水木さんが「キャンディ・キャンディ」の著作権者であると認められれば水木さんが商標登録しておくべきではありませんか。その後、何らかの企画があればライセンスすればよいのではありませんか。
 (略)
10

日本マンガ学会監事・牛木理一 弁理士の論文

この商標登録無効申し立ての際、いがらし側が「東映が商標を抑えているのは不当」という主張の根拠に利用したのが、これまた現マンガ学会監事・牛木理一 弁理士の論文。

1976年当時は、出版社はキャラクターマーチャンダイジングを直接行うノウハウは持っていませんでした。
出版社が意識的にアニメ化とグッズの版権管理をやりはじめたのは、1981年の『ドクタースランプ』あたりからです。

ですから、当時としてはアニメ会社の(株)東映に商標権を取得させ、管理を任せた方が作家・出版社ともに効率の良いビジネスが出来る、現実的な対応であったと言えます。

当時も、その後の二十数年間も、東映は何ら背信行為を犯すことなく誠実に『キャンディ・キャンディ』のブランドイメージを高め、保持してきました。
また、ローティーン向け少女漫画雑誌『なかよし』の人気作品であった漫画『キャンディ・キャンディ』を幅広い年齢層にアピールするタイトルに育て上げ、更に海外でまで知名度を高めたのは東映の功績です。

「不当」といわれる筋合いはありません。
11

再放送の為のハードル

このように東映の商標権を侵して多数の違法グッズを世界中にばら撒き、東映に対し商標登録無効審判を起こす一方で、作画者・いがらしゆみこは東映に対し、「再放送をいつでも許諾する」との申し入れもしています。

そして、原著作者・水木杏子も「再放送はいつでもOK」と表明しています。

原著作者は権利関係にうといまま作画者の口車に乗って講談社との契約を解除してしまった為に、ビジネス上の混乱をまねいたことを非常に反省しています。

また「アニメ版は自分だけの作品ではなく、フィルムを作った多くの東映スタッフや声優たちのものでもある」「海外では漫画版を知らないアニメのみのファンが多い」という認識なので、「東映の権利を侵した違法グッズさえ始末がつけばアニメの許諾は可能であろう」と常々公言していました。
商標権と海外のアニメのこと ◆ 水木杏子 1999-08-18 (Wed) 15:04:10
    (略)
<アニメの物語>にはシナリオ作家の愛情がこもっています。
原作にない場面も多い・・(それについても当時わたしは不満でしたが今は別作として感謝しています)
海外のアニメしかみていないキャンディファンは<東映アニメ>の心が加わっているのです。

    (略)
確かに、東映は<著作者>ではありません。しかし、海外でも多くの人の心に残るアニメを作ってくれました。
東映は はやく事件が終わり、アニメの再放送を含め、海外でも放映できることをのぞんでいます。
海外のみんなの声を聞くにつけ、わたしもなんとかアニメを・・と願っています。 
アニメーションのリメイクについて 名木田恵子
(略)
確かに、24年前、製作された東映アニメーション「キャンディ・キャンディ」は技術も古く、連載漫画のあとを追いかける形で製作されたため、内容も<みずまし>され、原作者としても当時、気に入っていなかったことは本当です。
しかし、わたしも年を重ね、さまざまな人達が、さまざまな思いでアニメーションに携わり、「キャンディ」という作品を愛してくださっていたことを知りました。
東映のアニメは確かに古くさくはありますが、いい作品は古びない___とも思います。
感動は絵柄の新しさや古さではなく、製作者の心意気が伝わってくることでしょう。

この事件がおこり、昭和53年におきた<キャンディのにせTシャツ事件>の判決文を拝見しました。そこには<漫画作品という生みの親><東映アニメという育ての親>とありました。
ある意味では、そのご判断は正しいと思います。なにより、わたしが感じいったのは<東映アニメのキャンディ>に携わった方達がその言葉を<誇り>に思っていらしたことでした。
(略)

水木杏子公式サイト内 日本アニメリメーク裁判(陳述書)より
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いがらしゆみこの「漫画原作者の権利否定」に追従した日本マンガ学会

しかし、作画者・いがらしゆみこは裁判が終わった後もさまざまな場で「水木杏子は原作者ではない」と公言しています。

良識派の漫画家や編集者はこのようないがらしゆみこの言動には眉をひそめていますが、長谷邦夫、牧野圭一のように「漫画原作者の権利否定」に追従する業界人も少数ながら存在しています。

この両名が参加している日本マンガ学会にいたっては、原著作者である水木杏子に出席のオファーすらせずに、作画者・いがらしゆみこのみに都合のいい主張をさせて最高裁判決を否定する事を目的としたフォーラムを開催。

    参照外部リンク:
    水木杏子公式サイト内「アニメの再放送について」
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400字詰原稿用紙2,000枚の原作原稿=「走り書きの文字原稿」

いがらしゆみこの顧問弁護士と親しい日本マンガ学会監事・牛木理一 弁理士は、かねてより「アニメーション映画の製作者という二次的著作物の著作権者の立場にすぎない東映が商標権を専有しているのは問題あり」と主張していました。

それが更に「走り書きの文字原稿(=400字詰原稿用紙2,000枚分の小説形式の原作原稿を指す)」を書いただけの水木杏子を原著作者と「決め付けた」最高裁判決も不当と発言。

そして日本マンガ学会著作権部会は「いがらしゆみこが東映の商標権を侵して無断で制作したグッズ」に対して販売許可を出さずに差し止めた原著作者の行為は「正当な理由がない権利の濫用」であるから、グッズ業者は原著作者に対して裁判を起こすべき、という提言までする始末。

そして現在、国内で販売差し止めされた違法キャンディ・キャンディグッズが韓国で大量に販売されているという報告もあります。 
ダンエンタープライズの違法『キャンディ・キャンディ』グッズ
ダンエンタープライズの違法『キャンディ・キャンディ』グッズ
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東映アニメーションの立場

作画者が原著作者の権利を否定している現状では、東映としても新たな契約書など作れるものではありません。

70年代に製作された全115話のフィルムをデジタルリマスターにかけるには、相当の費用がかかります。
やっとリマスターを終了しソフトの生産を行っている途中で、また新たなトラブルが起こって発売中止になった場合、東映の損失は莫大なものになります。
そんなバクチは営利企業として打てるはずもありません。

以下、水木杏子公式サイト過去ログ発言。
アニメの再放送の誤解のことなど ◆ 水木杏子 2002-05-13 (Mon) 16:43:45

 (略)
アニメの再放送についても誤解(作者同志が許可すればすぐにオンエアされると思われているようで)があるようなので、この機会に詳しく記しておきます。

この6年あまりの事件を振り返ったとき<アニメ>が大きな鍵だったのだと気付かされます。(アニメとグッズはいまやセットですから)

この事件前から<東映アニメ>はキャンディの再放送に積極的ではありませんでした。 リメイクは勿論、再放送の予定さえ聞いていません。
​東映がキャンディについて望んでいたのは海外での<放映権ビジネス>でした。

<キャンディ>に消極的な東映(また、講談社)を諦め、いがらしさんがリメイクに積極的な日本アニメに話を持っていった気持ちは理解できます。
だからこそ水木も東映とセットになっていた講談社との二次使用の契約を解除することに同意したのです。

その当時、商標権、著作権などについては<無知でした>という言葉ではすまない自分の愚かしさを今、悔んでいます。

しかし、東映も講談社も作品を冷遇していたわけではありません。
10年ほど前、東映も講談社もキャンディ・ルネッサンスを願って劇場用の映画にまた、<なかよし>は<るんるん>の付録にという企画をたててくれています。それが成功していたら・・・もしかして今回の事件は起こらなかったかもしれませんね。

アニメ会社も出版社も過去の作品はむろん大切にしますが、それ以上に新しいヒット作を目指していくのが当然でしょう。
東映も講談社も時間をかけ、時代の風が吹いてくるのを待っていたのだと思います。
いつか、この事件がなければキャンディにもその風は吹いてきたでしょう・・。

以上のように、この件のはるか以前からアニメの再放送の企画はありませんでした。

アニメは東映の作品です。 再放送に関してはわたしたちの同意は必要ですが、作者たちが東映を動かし再放送を行なう力まではありません。
しかし、この件で今後、再放送ができにくくなったことは事実でしょう。

(略)

        参照外部サイト:
        アニメの再放送の誤解のことなど ◆ 水木杏子 2002-05-13 (Mon) 16:43:45
No.146 >おたずねのことなど
投稿者名: 名木田
投稿日時: 2006年12月08日(金) 19時17分

(略)
”キャンディ”を懐かしんでくださる方に出会うと・・複雑な思いです・・
漫画本に関しては、ほとんど無理かもしれません・・。

でも、アニメに関しては・・<東映アニメ>の作品であり、東映アニメが今後どうしたいかが、問題なのです。
わたしの意向で動くことではありません。
<東映アニメ>の姿勢がきちんとしていて、そのお気持ちがあれば、東映側のさまざまなことを責任を持って解決なさり、動かれると思います。
わたしの関知することではないのです。

名木田恵子公認ファンサイト「妖精村」掲示板より
…という訳なので、原著作者・水木杏子と(株)東映アニメーションには、アニメ版『キャンディ・キャンディ』お蔵入りの責任はありませんので、その点ご理解ください。

文句を言いたいなら作画者・いがらしゆみことそのシンパの日本マンガ学会にね。
15

追記

作画者は2007年台湾で『キャンディ・キャンディ』のメインキャラに酷似した、『甜甜Lady Lady』と称する「オリジナル新作」のキャラクタービジネスを展開。
最高裁判決を愚弄するのみでなく、東映が保持している『レディレディ』の商標権を侵害する行為であり、東映アニメーションといがらしゆみこの関係修復は暗礁に乗り上げたと見てよいでしょう。
いがらしゆみこ自ら製作したキャンディキャンディもどき「甜甜Lady Lady」グッズ
いがらしゆみこの”オリジナル新作”『甜甜Lady Lady』のグッズ

『キャンディ・キャンディ』の著作権に関する講談社の見解

1/21/2019

 
01

キャンディ・キャンディ事件解決の為に最大限の尽力をした講談社

 『封印作品の謎 2 』 安藤健二 (著)
漫画作画者・いがらしゆみこが引き起こした『キャンディ・キャンディ』横領詐欺事件に関して、(株)講談社は既に『キャンディ・キャンディ』との法的関係はないにもかかわらず、事態の収拾の為に尽力しました。

(株)講談社は作画者・いがらしに対し、原著作者・水木杏子への謝罪と和解を行うように説得するとともに、地裁に陳述書を提出し、漫画制作現場における法的処理の実情と作品成立過程の事情について仔細な説明を行い、一流漫画出版社としての社会的責任を果たしました。

にもかかわらず、日本マンガ学会理事の長谷邦夫、牧野圭一らは、「講談社は裁判で証言しなかった。水木杏子を原著作者とする”理不尽な判決”が出たのは、講談社が裁判で証言を拒んだせい」などと、事実無根の悪質な虚偽を公私を問わぬ様々な場で吹聴しています。
02

梶原一騎の著作権を否定した いがらしゆみこ

まず地裁における いがらしゆみこ氏の主張を記します。
<証人尋問>でいがらし氏はこう証言しています。
「私が考える原作というのは、資料も全部与えられて、きちんと台詞もこの とおりに書いて下さい、あるいは、言ってしまえばコマ割りまで指定され ているものがきちんとした原作だと思います。」(記録書のまま) 

水木杏子公式サイト(旧)「漫画の原作という仕事について」より引用
つまり、原作者がキャラクターデザインにまで参加し、作画資料を提供し、ネーム形式で書かれた原作原稿でない限り、「漫画原作」としての法的権利は有しないという主張です。

漫画『キャンディ・キャンディ』の原作は400字詰原稿用紙2,000枚超に書かれた小説形式のものである為に、「原作」ではなく単なる「参考資料」に過ぎないというのです。

近年はネーム形式の原作者も増えましたが、日本の漫画史を築き上げてきた多くの漫画・劇画原作者、例えば梶原一騎、福本和也、小池一夫、雁屋哲、武論尊、牛次郎、工藤かずや、佐々木守… といった大御所作家たちの原稿は小説形式や脚本形式で書かれています。

万が一にも いがらし氏の主張が法廷で認められ、判例となっていたら、このような大御所作家たちの著作権は否定され、彼らが人生をかけて紡いできた物語は「単なる参考資料」に貶められ、創作者としての名誉も法的権利も奪われてしまうところでした。
そのような悪夢を防いだのが、講談社が裁判所に提出した仔細な陳述書だったのです。
03

講談社の『キャンディ・キャンディ』担当編集者(企画立ち上げから第3部完まで)だった清水満郎氏が98年3月、地裁に提出した陳述書の要約

1.『キャンディ』の誕生理由

    当時の少女漫画はいわゆる”学園もの”が中心だった。
    しかし、いがらしさんの新連載を始めるにあたり、『なかよし』編集部では、より骨格のしっかりした大型の連載を目指し、いわゆる”名作もの”の企画で行こうということになった。
    ”名作もの”とは、著名な外国文学のように、長きにわたり読み継がれた作品のようなものをイメージしていた。
    このような構想はかねてから東浦彰編集長が抱いていたものだが、編集会議でそういう方向を目指すことになった。
    そして、原作者として水木さんが編集部で人選された。 

2.『キャンディ』のコンセプト

    基本的なコンセプトと設定は、漫画家のいがらしさん、原作者の水木さん、担当編集者である清水の3人で話し合って決めていった。
    まず『ローズと7人のいとこ』という作品名が、いがらしさんから出て、『あしながおじさん』の話を清水が持ち出した。
    水木さんも幼い頃から『赤毛のアン』などの名作ものは大好きだったということで企画に大変興味を示したため、以後は3人で話し合っていった。 

3.『キャンディ』のストーリー展開

    いがらしさんが希望や意見を出し、原作にそれが反映されることもあったが、ストーリーを作ったのは誰かといえば、やはり原作者である。
    具体的なストーリーの展開は原作者の水木さんが作成し、その漫画化をいがらしさんが行なったと記憶している。 

安藤健二著 『封印作品の謎2』(太田出版)P30-31より引用
また、事件以前は いがらしゆみこ氏自身も「企画は編集部」「自分に話が持ち込まれた時には既に原作をつけることが決まっていた」と公言していました。

    参照:
    アニメック第23号(昭和57年4月)ザ・プロフェッショナル第四回
04

「原作付き漫画」の著作権

講談社版権事業推進部長・新藤征夫氏が98年10月、地裁に提出した陳述書の要約。
1.「原作付き漫画」の著作権

    原作は漫画のセリフやストーリーを構成する部分にすぎないもの、という考えはしない。「漫画の原作」は、漫画の著作物とは別個の独立した著作物であり、原作者は独立した原著作者だ。したがって、その原作をもとに執筆された漫画作品には、つねに原作者の原著作権が及んでいる。 

2.「原作付き漫画」の原作者の扱い

    このような「原作付き漫画」の二次利用(映画・テレビ・演劇など)の版権業務を行う際は、原作者と漫画家それぞれに事前許諾を得て、両者のクレジットも必ず表示するように義務づけている。商品化の際も同様である。連載以降に新しく描き下ろした登場人物の絵も、漫画の複製物であるため、原作者の権利が及ぶものと考えて、同じ扱いをしている。 

3.『キャンディ』の著作権管理について

    75年から契約解除となる95年までの20年間、講談社が著作権の管理をしていた。 その間、前述した「原作付き漫画」とまったく同じ版権処理をしていた。 

安藤健二著 『封印作品の謎2』(太田出版)P31-32より引用
新藤氏は地裁判決の翌朝の新聞にも同様のコメントを寄せております。
   漫画「キャンディ・キャンディ」の版権を以前管理していた出版元の講談社の新藤征夫・版権事業推進部長の話

    一九九五年に五十嵐さんと、名木田さんの側から「自分たちで版権を管理したい」との要望があり、二人に返した。
    原作者と漫画家だけで管理するのは珍しいケース。出版社が仲介する場合、契約で原作者と漫画家の権利は同等に定めるのが普通だ。
    漫画にとって設定、ストーリー、世界観も重要な要素で、原作あっての漫画だといえる。
    漫画家が絵だけの権利を主張しても通らないのが業界の常識になっている。

朝日新聞 1999年(平成11年)2月25日朝刊38面より引用
05

講談社顧問弁護士の見解

講談社社史編纂室部長・竹村好史氏 談
    ――――講談社が「原作が原著作物である」という判断をしたのはなぜですか?

    「はじめは私も漠然と、「共同著作物」かなと思っていましたが、社の顧問弁護士と相談したら『原作者は原著作者にあたる』ということになりまして、社内の方針としてそうなりました。
    『キャンディ』の場合、漫画化される以前には原作は世に出ていなかったわけですが、制作の順序としては原作を見ながら描かれるということで、そうした手順の問題だと思っています。
    ただ、原著作物であったにせよ共同著作物であったにせよ、双方の同意が得られなければ出版や商品化はできないわけであって、そこは大きな問題ではないと思います」

安藤健二著 『封印作品の謎2』(太田出版)P53より引用
(株)講談社の見解では初めから「水木杏子は”原著作者”」であり、連載時からその見解に沿った法的処理がなされていました。

にもかかわらず、日本マンガ学会では「最高裁判決で水木を原著作者と位置づけたのは、漫画界の実情を反映しない不条理な判決」とネガティブキャンペーンをはり、原著作者をカヤの外に置いて作画者一人を著作権フォーラムにまねき、最高裁判決を非難しました。

そればかりでは終わらず、 日本マンガ学会著作権部会は、2005年10月13日の第3回著作権部会の席上で
    「キャンディ・キャンディ」のマンガ部分は、二次的著作物という解釈ではなく、ストーリー部分との共同著作物であるとなぜ解釈できないのか。 

    マンガ家がストーリー作家の合意なしに、商品化の許諾を与えて製作したグッズの販売が不能となって損害を蒙った業者は、利害関係人であるから、これらのグッズの販売を許諾(合意)しない作家を訴えることが、現状打破の一つの突破口にならないか。
等と最高裁判決及び講談社法務部の法的見解を非難し、原著作者・水木氏と商標権保持者である(株)東映アニメーションの正当な権利を侵して違法グッズを制作販売した業者を「被害者」と位置づけ、新たな裁判を起こすための扇動まで行っています。
06

「いがらしの為の企画」ではなかった

講談社社史編纂室部長・竹村好史氏 談
    「『世界の名作のいいところを全部出せないか』というようなコンセプトだったと思います。そんな露骨な言い方はしなかったとは思いますが……。
    だから、みなし子、看護婦、いじめっ子と名作に出てくる要素はみんな出てきますよね。
    そのうえで、水木さんといがらしさんを組ませるということになったんでしょう。編集会議でそう決まったはずです」

安藤健二著 『封印作品の謎2』(太田出版)P61-62より引用
07

東京地裁の判断

東京地裁判決文
    しかし、本件においては、前記第二、一(前提となる事実関係)に証拠(甲一、一二、丙一の1ないし5、二の1ないし4、三ないし七、九、一〇)及び弁論の全趣旨を総合すれば、

    ① 昭和四九年秋、なかよし編集部は、当時なかよしに連載中の被告【D】の著作に係る漫画「ひとりぼっちの太陽」の連載終了後に、同被告による新たな連載漫画をなかよしに連載することを企画し、被告【D】の担当編集者であった【I】が同被告との間で新たな連載漫画の構想を話し合うなかで、新連載漫画については、なかよし昭和五〇年四月号から連載を開始し、ストーリーの作成を原告が担当し、作画を被告【D】が担当することが決まり、昭和四九年一一月までの間に、【I】は、被告【D】及び原告とそれぞれ個別に打合せを行って、新連載漫画につき、舞台を外国として、主人公である孤児の少女が逆境に負けずに明るく生きていく姿を描くなどの、漫画の舞台設定、主人公の性格や基本的筋立て等の基本的構想を決定したこと、

    ② 右に引き続いて、同年一一月、原告と被告【D】は、【I】を交えて初めての打合せを行い、なかよし昭和五〇年四月号に掲載する連載第一回分の筋立てのほか、なかよし同年三月号に同漫画の予告を掲載するために必要な、漫画の題名、主人公の名前、キャラクター等について各自の意見を交換したが、その際、被告【D】は、携帯していたB5判の無地のレポート用紙綴りに、主人公のラフスケッチ(キャンディ原画)を描いたこと、

    ③ 右打合せの結果を踏まえて、原告は、本件連載漫画の連載第一回分の原作原稿を執筆していたところ、これと並行して、被告【D】は、【I】からの依頼に基づき、なかよし三月号に掲載する本件連載漫画の予告用の主人公キャンディのカット画(キャンディ予告原画)を作成して、昭和五〇年一月八日ころまでに【I】に渡したこと、

    ④ その後、同年一月中旬に、被告【D】は、原告の作成した連載第一回分の原作原稿を、【I】から受領したこと、が認められる。


    東京地裁 平成11年(ワ)第20712号 著作権損害賠償請求事件
    当裁判所の判断1 争点1(本件連載漫画の登場人物の絵のみを利用する行為に対して、原告の本件連載漫画の原著作者としての権利が及ぶかどうか)について(二)より

日本ユニ著作権センター判例全文 より引用
08

講談社側の証言まとめ

講談社側の証言を総合すると、
  • まず、 東浦彰編集長が「カルピス劇場のような名作路線を少女漫画で実現したい」という構想を持ち、 編集会議で、いがらしゆみこ作画の連載枠を使ってその企画を推進すると決定。
  • 東浦編集長のコーディネイトで「物語・名木田恵子(水木杏子)」「作画・いがらしゆみこ」というユニットが組まれた。
  •  担当編集・原作者・作画者の座組みが仮決定した段階で、原作者と漫画家にそれぞれ打診。
  • 「名作路線の黄金パターンをすべて盛り込んだものとする」との編集部指定を受けて、 一番最初の打ち合わせの場で原作者・漫画家・担当編集者の3者でブレインストーミング。
  • それを踏まえて原作者が連載開始に向け具体的なストーリーに発展させ、エピソードとキャラクター(人格・設定の意)を作成した。

ということのようです。

日本マンガ学会理事が教育現場を含む様々な場で吹聴している、「少女マンガの女王いがらしサンに、新人だった水木さんは当初言われるままに書かされてきた」が真っ赤な嘘であることは明白です。
09

講談社が再びキャンディ・キャンディの著作権管理をする可能性

講談社社史編纂室部長・竹村好史氏 談
    ――――講談社が再び著作権を管理するという話はなかったのですか?

    「そうした声があったのは確かです。社内的にも前向きで希望を持っていました。
    ただ、いがらしさんが控訴してしまったことで、すべて潰れてしまったんです。
    高裁、最高裁と行ってしまったら収拾がつかない。いがらしさんが詐欺みたいなことをしたわけですから、非を認めて水木さんに謝罪をしないかぎりは、今後は前に進まないでしょう。

安藤健二著 『封印作品の謎2』(太田出版)P54より引用
いがらし側の意向は不明ですが、原著作者・水木杏子氏の方は作画者の口車に乗って講談社との契約を切ったことが一連の横領詐欺の始まりであり、
この事件後、すべてを元に戻し講談社、東映アニメに私の権利を任せることができたらと願っております。

水木杏子公式サイト内「業者について思うこと」より
と表明しています。

また、漫画本に関しては
水木は講談社以外、許可しないつもりですが、その版元、講談社でさえ問題がきれいに解決しない限り、出版することはないでしょう。

水木杏子公式サイト内「キャンディ事件の現状について」より
とも宣言しています。

現在、講談社と『キャンディ・キャンディ』という作品の間には、何の法的関係もありません。
講談社がふたたび『キャンディ・キャンディ』を出版・版権管理をするには、新たに水木・いがらし両氏と契約を結び直さねばなりません。
その際には当然、講談社法務部の以前からの法的見解であり、最高裁判決によっても再度確認された「水木杏子は原著作者」「漫画作品『キャンディ・キャンディ』は原作原稿の二次的著作物」に則った契約書が作成されるはずです。

しかし、作画者・いがらしゆみこは現在も「最高裁判決は不条理」「水木を原著作者とした最高裁判決は不当」「原作と称する文字を書いただけの人に絵に関する権利を与えるなど受け入れられない」と、公私にわたって主張しており、日本マンガ学会も作画者の主張に同調しています。

このような現状では、講談社としても復刊のためのアクションはとれません。東映アニメーションの立場も同様です。


また、現在にいたるまで、作画者・いがらしゆみこは、原著作者・水木杏子氏、商標権保持者・東映アニメーションに対し、何の謝罪も表明しておらず、今まで行ってきた不正ビジネスに関する情報公開も拒んでいます。
事件が未解決のままでは、作品の正常化は到底不可能です。
​

その様な現状に加え、日本マンガ学会が原著作者・講談社・東映を陥れるような情報操作を行っている上、違法グッズ業者を煽って新たな裁判を起こす「提言」までしているのです。

事件の沈静化とキャンディビジネスの早期正常化は、原作者・講談社・東映、そしてファンの切なる願いでした。
しかし、その願いは日本マンガ学会の介入によって踏みにじられました。
日本マンガ学会理事等によって流されたデマ(「講談社は裁判で証言しなかった」等)が正され、紛糾した事態が治まるまでには、長い時間が必要でしょう。
封印作品の謎 少年・少女マンガ編
著者: 安藤健二
(略)
今回(2005年秋)『封印作品の謎』の著者、安藤健二氏の取材を受けました。その際、再度深く考えました。そして、簡単に<封印>という言葉を使った自分を恥じています。

確かに今まではこれも<封印>の範疇かもしれないと甘んじていましたが、この言葉を使うと、あたかも原作者、水木の意志で封印されてしまった、と受け取られることを取材を受けて強く感じ、冷水を浴びされた思いがしました。
 
この事件は、水木サイドの初動ミスによって<詐欺事件>が<著作権侵害事件>にすりかえられてしまいました。あたかも<著作権問題>について論議されたような結果を招いてしまい自らの愚かさとはいえ残念でたまりません。

また、その問題を正当化せんといがらし氏の弁護士、取り巻きの漫画家や漫画評論家たちが画策しています。

この漫画作品はそういった人たち(この事件を検証しようともしない、また作品を本当に愛しているともいえない)によっていっそう暗闇に追いやられているのであって、<封印>とは全く意味が違うことを少しでも理解していただけたら、と願っています。
 (略)

水木杏子公式サイト内「キャンディ事件の現状について」より

アニメック第23号(昭和57年4月)ザ・プロフェッショナル第四回 いがらしゆみこ

3/2/2017

 
ラポート社『アニメック』1982年23号
最高裁判決前後のいがらし氏は、自分の原作者否定発言は法廷戦術として弁護士から強制された的な言い訳をしていたのですが、トゥゲッターで広まった某先生の発言を見ると、相変わらず周囲には「後からつけられたシナリオ補に権利を奪われた」ようなことを吹聴してるっぽいですね。

で、そんないがらしゆみこ先生が問題を起こす遥か以前の1982年にラポート社の『アニメック』誌で受けたロングインタビューでの発言。
01
――では、『キャンディ・キャンディ』が出たところで、そのお話を。まず、原作つきですとどんなプロセスで展開しますか。
「『キャンディ』の場合は、発端は編集さんだったんです。『アルプスの少女ハイジ』を観た私の担当さんが、何といい話だろうって感動して、こういうのマンガでやろう、原作つきでやってみないかというお話が私のところに。
原作の水木さんは昔、青池さんと組んでやってらしたでしょ、『グリーンヒル』とか……。『キャンディ・キャンディ』は彼女の得意な分野だから、お見合いして、よかったらGO――と」

――ハァ、お見合いですか。
「ええ、やっぱりあちらの感性とこちらの感性で一致するものがないと、うまくいかないし」

――一本づつ打ち合わせを。
「わりとその都度やってましたね。原作をマンガに直しちゃうと、その続きを今度はまた彼女と話しあって。文章を絵にする場合、そのまんま、っていうのは絶対ムリですからね。たえずコンタクトしてやってました」

――そうすると、ストーリーがだんだん変化していく場合も……。
「やっぱりあるんです。第一次世界大戦は、ストーリーが進んでからいれることになったエピソード。結局、年代を定かにしちゃうとキャラクターの年齢が出ちゃうでしょ。『キャンディ』では途中で生まれた年月日をバラシちゃったんですよねぇ。読者がとても知りたがったものだから。そうすると、第一次大戦終わるとキャンディ、20になるの。"なかよし"で20で何描こう、ってなっちゃうじゃない(笑)。それに、時代考証っていうのは目いっぱい手カセ足カセになってしまう場合があるから……。私はまぁ、時代はいつでもいいじゃないか、国はどこでもいいじゃないか(笑)って思うタチなのね。無国籍マンガってすごく好きだから………(笑)」

――文章って、小説のように書いてあるんですか。
「ほとんどそうです。――青い空、白い雲が流れて、むこうの景色まで見わたせるような澄んだ空気の中を、彼女は走っていた――と。アー、どうしよう(笑)アー、ムズカシイ(笑)って」

――ネームは指定があるんですか。
「ないです。好きにやって下さい、みたいなカンジで……。水木さんとは、年代がすごく似てるから、違和感ってゼンゼンないのね。やりやすかった」

アニメック第23号(昭和57年4月)ザ・プロフェッショナル第四回より
↑企画は編集部で、自分に話が持ち込まれた時には既に原作をつけることが決まっていた、と語ってますね。
水木氏の証言や『封印作品の謎』に掲載されている講談社の担当編集者の陳述内容と一致しています。

それが契約違反で訴えられた途端に
「キャンディ・キャンディ」は私と担当の編集者との間で企画が生まれ、後にストーリー補強のため原作者を選ぶ形で制作を開始した作品
などという主張を始めるわけです。しかも、相手によって、時期によって、
「水木はうちのプロダクションで時代考証関係の資料整理をやってただけの人間。手違いで原作者として表記された」
「水木は『時代考証はよくわからないから、後はおゆみよろしくね!』と丸投げだった」
「水木の原作はペラ一枚に走り書きしただけの到底原作などと呼べないシロモノだった」
「水木の原作は無闇に長くて、私が大幅に改編して構成し直さなければ使い物にならなかった」
…と発言内容がコロッコロ変わる。

最終回にいたっては、周囲の人間には「最終回の内容はとっくの昔に決めていた。原作は見ずに書いた」と言いながら、裁判所に「水木が原作を書いていない証拠品」として最終回の原作原稿に「ここはカット。ここは改変して使用。ここは使用」とマーカーで注釈を入れて提出。

こんな調子のいがらし氏が吹聴している話を鵜呑みに出来る人の精神構造ってのも、良くわかんないよね。
02

『まんが原作者インタビューズ(同文書院1999年)』より水木杏子の発言

ご参考までに、伊藤彩子・著『まんが原作者インタビューズ―ヒットストーリーはこう創られる!』同文書院 (1999/10)より、水木杏子が語る「キャンディ・キャンディ」の連載企画の発端について。
――『キャンディ』っていうのは、いがらしさんが連載をやることが決まってて、編集サイドから企画が出されて、じゃあ原作者は誰にしようってことで水木さんにお話がきたんですか。

水木:正確にいうと、『なかよし』編集長の企画で「少女名作まんが」をやることになって、いがらしさんと私がコンビを組むことになったのね。私の方は前々から「いつか名作ものやるぞ、考えとけよ」と東浦さんに言われていました。いがらしさんの方は、どう言われていたのかはわからないけど。

――東浦さんが少女名作ものにこだわっていたっていうのは、それをストーリーまんがにしたら、面白いものになるっていう確信があったからなんですか?

水木:そうでしょうね。東浦さん自身が当時、雑誌のインタビューでそう言ってらしたように記憶しています。(略)

『まんが原作者インタビューズ―ヒットストーリーはこう創られる!』P156-157より
連載中の漫画家との打ち合わせについて。
――原稿を編集者に渡したら、もう雑誌に載るまで見ないっていう感じだったんですか?

水木:いえいえ、原稿を読んだ後、いがらしさんから深夜電話があって、よく相談しました。たいてい、私の原稿が長くて収まらないというのね。まんが家にしてみれば、ここで大きくページを取りたい、というのも分かるし、途中で切れば次の「引き」を考えなくてはならない。「引き」は大切で、担当から「引き」が面白くないと文句を言われるし、そうそうハラハラドキドキの「引き」を考えられない。
生原稿で、同じシーンがいろんなパターンで何回も書いてあるのが残っていて、思い出すとみんな「引き」のためにそこだけ書き直していたのね。

​『まんが原作者インタビューズ―ヒットストーリーはこう創られる!』P162-163より
こういう手順で作られていった事実を、いがらし氏と親しい漫画業界人は「少女マンガの女王いがらしサンに、新人だった水木さんは当初言われるままに書かされてきた」などと意図的に歪曲して流布してきたわけです。

キャンディ・キャンディを守る会: <水木杏子(名木田恵子)先生への質問と回答> ログ

4/1/2016

 

はじめに

画像
「キャンディ・キャンディを守る会」はキャンディ・キャンディ裁判当時に問題の早期解決を願う作品のファンが自発的に集い、「キャンディは私達ファンと二人のママのもの」 というスローガンを掲げて中立の立場から精力的に活動していたグループです(作品に対する思い入れのない、漫画原作の著作権に対する興味のみで事件を観察していた私はノータッチでした)。

最高裁判決と共に自然解散のような形となったものの、サイトは残され長らく貴重な参照先となっておりましたが、 サイトデータの置き場である「フリーティケットシアター」が2016年3月31日をもってサービス終了、「守る会」サイト閲覧も不可能になりました。
web.archive.org で大半のデータは拾えるものの

    参照外部リンク:
    web.archive.org「キャンディ・キャンディを守る会」

非常に貴重な発言集である「水木先生への質問と回答」のページは不具合が出て閲覧不能。
サービス終了前にウェブ魚拓で保存しておきましたが、

    参照外部リンク:
    「キャンディ・キャンディを守る会内<水木先生への質問と回答>」2016年1月22日 19:22のウェブ魚拓
短縮リンク: http://gyo.tc/16mSe

どうせなら参照しやすいように保存しておくほうが公益性があるかと思い、このページで再公開する事にしました。
質問1、2、3、4、および質問9

質問1 いがらし先生は本当に水木先生を原作者と認めていないのか?それはいつからか?

質問2 いがらし先生は、なぜ今になって漫画「キャンディキャンディ」はご自分ひとりだけの権利と主張されるのですか?

質問3 漫画『キャンディ』のキャラクターをいつ、どこで、だれが描いたとしても、それが『キャンディ』に登場するキャラクターである以上、その絵はすべて漫画『キャンディキャンディ』を背景として描かれていると思うのですが、このことについて、いがらし先生はどのように思われますか?(一般的に、原作者の<絵>の権利がその漫画本の中に記載されている<絵>だけにあるとはとても思えないのですが)

質問4 キャンディキャンディを今後どうするつもりで裁判を続けておられるのか? ​

質問9 いがらし先生・水木先生は、<お二人の「キャンディキャンディ」>として後世に残すつもりはないのですか?

【水木杏子の回答】
*質問1.2.3について
*質問4と質問9は関連があるので、まとめてお答えします。

「創作者」であるからには、自分の作品が<後世>に残ってほしい、読み継がれてほしいという気持ちを持たない人はいないと思います。
しかし、悲しいことにこれだけはいくら作者が後世に残したいとがんばっても、どうしようもありません。残る作品を選ぶのは多くの人の愛を得た<選ばれた作品>と思います。
キャンディのように読者の間から、そのような声が聞こえてきたとしたら・・・それだけで作者冥利に尽きる、というもので感謝の気持ちで一杯です。

キャンディについては<昔のファンが大人になったな>と感慨にふけることはあってもそのこととビジネスは結びつきませんでした。わたしはいがらしさんほど商売にたけていないのでこちらから<売り込む>という発想はありませんでした。キャンディを今後どうしたいか・・・という点をふくめ、いがらしさんにもしファンの声が届いていたなら教えてくだされば、一緒に考えたでしょう。私は読者と接することも漫画家より少なく<ファンの声>もなかなか聞こえてきません。(わたしと接してきた読者は物語を深く読み込み、お手紙をくれる少数派で<グッズをつくってほしい>といったタイプではなかったので。むろん、そういったお願いなどは漫画家にいくでしょうが)

私の<キャンディ>に対する確信のような思いは<求められている良い作品なら、きっとまた風がふいてキャンディは舞い上がる>というものでした。事実、「なかよし」が<るんるん>の付録にしてくれたり、少しずつ取り上げられるようになってきていたところでした。
確かに<仕掛けること>も大切でしょう。
しかし、今回のことで<自然に流れるはずだった風>がとまり、澱(よど)んでしまったと私は思っています。
キャンディの今後については・・・・
まったく解りません。この裁判が長引けば、東映アニメもあきらめ、ファンのひとたちも引いてしまうかもしれません。事件はもっと多くの人に知られる所となり、これは東映サイドの言葉ですが「ダーティーイメージがついたキャンディのスポンサーを探すのがたいへんになり、再放送なども難しくなってくる」

しかし、今ならまだ・・・・・間に合うと思っています。高裁の結果がでたあと、いがらしさんが非を認め<キャンディを生かす>話し合いに応じたら・・・・・

キャンディを今後どうしたくて裁判をつづけているのか・・・
わたしには答えようのない質問です。
著作権がない、といわれつづけているわたしには<キャンディの今後についても口出しする権利はない>といわれてるのと同じことです。
まず、権利を(元の通り)回復して、不正を正し、いがらしさんが<今後何をしたいのか>話しあうだけです。
いがらしさんが話し合いに応じれば、ですが・・・・ 
質問10

質問10 両先生は、なぜ「講談社」との契約を解除されたのでしょうか?(それまでずっと講談社だったのになぜかと思いまして)

【水木杏子の回答】質問10
水木杏子HP<陳述書Ⅰ 今までのこと>にくわしくそのいきさつを書いています。わたしとしては講談社との契約を個人的に残すこともできたのに・・・と、今はっきりいって残念ながらいがらしさんの<計画>に陥ってしまった、と判断しています。
    参照外部リンク:
    水木杏子公式サイト内<陳述書Ⅰ 今までのこと>
質問11

質問11 質問というよりもお願いになると思うのですが、いがらし先生・水木先生のお考えになる「事実」と「事実と異なる憶測・誹謗中傷など」の違いを教えていただけないでしょうか?

【水木杏子の回答】質問11
<事実>は言葉とおりです。自信を持って答えられること。証拠もあり、証人もいる・・・憶測は想像がまじります。事実はなかなか認証できません。この世の多くの事件が憶測をもって語られていると思います。新聞もニュースも<事実>が形として見えない以上、有識者の憶測にたよることになります。そこから真実を見抜ける人がわたしは<本物の目>を持つ人と思いあこがれます。
<誹謗中傷>は<事実>(証拠にそったこと)なら、誹謗ではなく<ほんとうのこと>なのでしかたがありません。しかし、どんな酷いことをしたひとにも尊厳はあり事実であっても<礼儀>は大切で、<いってはいけないこと>もあると思っています。  
質問12

質問12 いがらし先生、水木先生にとって漫画「キャンディキャンディ」とは何ですか?

【水木杏子の回答】質問12
青春時代の思い出がこもっている大切な作品です。キャンディはいろいろなものをわたしたちにくれた娘でもあり、恩人でもあります。 
質問13

質問13 プリクラの件があきらかになったばかりの頃、お二人は直接お話される機会がありましたか? また話し合いに応じなかった事実はありますか?

【水木杏子の回答】質問13
これも私の陳述書をお読みください。
それに書いていないこととしては、プリクラ事件のとき漫画家の先生が間に入ってくださいましたが、話し合うことはいがらしさんに拒否されました。(いがらしさんは反対のことをいっていますが)

いがらしさんの擁護派たちは<なんで水木は自分で話し合いにいかなかったか>と責められそうですね。乗り込んででもいくべきだった、と。
しかし、HPに書いたとおりそれ以前から不信感が芽生えていたのです。特に夫は大変疑っていました。
プリクラの件でわたしがひどく怒ったとき・・・わたしにとっての最後の賭けは・・・(いがらしさんにやましい所がなかったら、いつものように<らとちゃん、なに誤解してんのよ>)と電話してくると思っていました。
とうとうありませんでした。 
質問14

質問14 <著作物>に関わる「同人誌」「インターネット」のファン活動を両先生方はどのようにお考えになりますか?

【水木杏子の回答】質問14
作品を愛してくださるのは作者としてうれしいことです。
「同人誌」など個人の趣味の範囲なら問題はないようですが、それが本当に趣味なのか<趣味を装った営利目的>なのか境目がわからず、今法的にも問題になりつつあるそうです。わたしとしては個人的には<コミケ>での販売くらいなら、大目にみたいなと(作品のイメージを壊さないものなら)思っています。 
質問15

質問15 水木先生にお聴きします。原作つき漫画の「漫画家」について、どのように思われますか?

【水木杏子の回答】質問15
オリジナルであろうと原作がついていようと、「その作品を書きたい」と情熱をもやし、描くのならば愛着は同じでしょう。<原作を生かすこと>もすばらしい才能だと思ってきました。すてきそうな物語をオリジナルで描いても漫画としていかされていなくて(構成力の拙さで)もったいないと思える作品もあります。
質問17

質問17 この裁判以前、お二人の原稿料(他、すべてのギャランティを含む)の比率に関して不満をお感じになったことはありますか?

【水木杏子の回答】質問17
ありません。6(いがらし)対4(水木)でずっと納得していました。
(何万部以上売れたら)5対5との約束事もありましたが、いがらしさんには人件費がかかるということで受け入れていました。
しかし、最近、井沢先生と話し合うようになって初めてその言い分に疑問を感じています。(中公文庫はいがらしさんの申し出により5対5になりましたがそれを一審で無理矢理その配分にしろといわれて、と言ってきたので名誉のため文庫の契約を解除しました)
また、いがらしさんが違反した契約書では印税は5対5になっていますが、わたしにとっては4でも5でも今更こだわりはありません。
いがらしさんと親しいマンガジャパンの弁護士が作ったのでそのままにしているだけです。しかし、いがらしさんのプロダクションに勝手に窓口手数料を20%取られていたことに対しては納得がいきませんね。 
質問18

質問18 両先生にお聴きします。 いがらし先生も水木先生のどちらも関知なさっていない「キャンディグッズ」の<海賊版>に対してどのような処置をとるべきか、そこまでのことをお考えになっているのでしょうか?

【水木杏子の回答】質問18
大変困ったことと思いますが版元を離れたらどうしようもありません。そういったことをとりしまるのも版元の仕事です。
現在、<海賊版>よりわたしはいがらしさんが不正に出したグッズのほうが問題です。 
質問19

質問19 プリクラの件以前にお二人の話し合いの中で、キャンディグッズについてのご意見の違いはあったのでしょうか?

【水木杏子の回答】質問19
この件についてお答えする前に、お話しておかなくてはならないのはHPを開いたときと今とではわたしの考えが違うということです。
以前は<私の二次使用の考え方がいがらしさんにちゃんと伝わっていなかったのが原因かしら・・・誤解があったのでは・・.と省みていました。
しかし、井沢先生への10年以上におよぶ<やりたい放題の侵害行為>が発覚するにつれ、事は<二次使用の使い方の考えの違い>などではなく、何とか原作者を封じ込め自由にビジネスをしよう、というものだったとの判断に至りました。
近々、発表することになると思いますが、10年前、いがらしさんが勝手に契約したイタリア版ジョージィからは<原作井沢 満>の名前が消えていました。それは意図的であった、と思っています。
出版社は原作者の名前を削除してもなんの意味もありません。

むろん、そのようなこともいがらしさんだけの考えではない、と擁護派はいうでしょうね。
わたしも(そうかもしれない)とも思います。
しかし、わたしたちはもう大人です。よこしまな考えの人がどう甘い誘いをささやいても断る判断力はあるはずです。

当初は、いがらしさんと二次使用について考え方がそれほど違っているとは思っていませんでした。
確かに<ビジネスをしたい>といういがらしさんの気持ちがわたしよりずっと強いことは分かっていました。しかし、私にとっても<二次使用のビジネス>くらいありがたいことはありません。働き者の娘が<親孝行>してくれる、といった感覚です。だからこそ<イメージを壊されず、みんなが喜ぶものを>と思っていましたが、いがらしさんのビジネス構想(まだ、講談社が二次使用権をもっていて、どこからの申し入れもない時、キャンディの使い方、売り込み方などについていがらしさんが<こう使いたい>という考え)を聞いているうちに、わたしにとって<顰蹙(ひんしゅく)物では・・>という考え方があり「それ・・・はちょっと・・・賛成できない」とは何回かいいました。それを今、取り上げているような気がします。
(なにをいっても水木は<だめ>といった、と)
繰り返しますが<相談>されていないのに<断れる>はずがありません。
そして、もし<相談>されていたら、なんでいがらしさんの考えを無視してことわれるでしょう。
それができるのなら、<講談社の契約解除>も<文庫>も、断っています。
この件では仲介にはいってくださった方が何人かいます。
そのうちのお一人にもいがらしさんは例の「水木がなんでも断るから!」と言い募ったそうです。
その方が、「じゃあ<なにを><いつ><どんな理由>で断ったか?」と尋ねられたところ、結局何も答えず、「なんでわたしが名木田さんの許可をいちいちもらわなきゃなんないのよ!」と激しくいわれたそうです。

わたしは今、それがいがらしさんの本心であろうか、と思っています。

いがらしさんがいつの頃からこれほどまでに原作者を無視する気持ちになったのか・・・
わたしにはわかりません。
今、思うことは<原作者の権利無視>の姿勢であるなら二次使用について原作者の考えなど何があっても聞く耳はなかった、と思っています。
最後に
 最後に
・・・・・・・
まだ、伝わらないこともたくさんあるでしょうが、以上がわたしの回答です。
いがらしさんの擁護派のひとのなかには<漫画の絵は漫画家のものじゃないか>という考え、また<二次著作者という判決にいがらし先生は腹立てた>という人たちもいるでしょう。(そういうひとたちは20年間、水木が原作者として処遇されてきたことなど念頭にないようです。)
水木が<訴えた>ことだけで反感を持っているひと、またHPであそこまで公表しなくても、と考えている人・・・・など・・・・感じます。
なんとか私の立場をわかってほしい・・・と願ってきましたが擁護派の方たちが子供の頃からいがらしさんを慕っている気持ちも分かります。<現実>をみたくない、という気持ちも・・・・・わたしも同じでしたから。
わたしは当事者ですから、だんだん現実を見極めてきましたが、いがらしさんのファンのひとたちは認めたくないこともたくさんあるでしょう。
そういった人たちに水木の立場をわかってほしい・・・と願うのはもう、あきらめました。

私はこれから<自分の考え>に従って行動します。
譲歩できる点は考えますが、できないところは拒否します。
いがらしさんの擁護派にとっては不快であろうかとも思いますが、いつの日かこの事件を捉え、水木の気持ちを少しでもわかってくださったら・・・・と願っています。


水木杏子
99.11.20
    参照:
    『キャンディ・キャンディ』裁判における井沢満(『ジョージィ!』原作者)の陳述書
付録01

水木杏子からキャンディのファンへの手紙

水木杏子旧公式サイト内には「キャンディのファンのみなさまに」と題した原作者から愛読者へ向けた手書きメッセージの画像が掲載されていた。
参照リンク:web.archive.org 水木杏子旧公式サイト内「キャンディのファンのみなさまに」

できればリンク先の手書き文字のメッセージ自体を読んでほしいのだが、最近のネットユーザーは参照リンクを一切確認しない人の方が多いので、やむを得ずここに全文を転載する。原作者がファンに直接語り掛けたメッセージということで、「守る会」への回答と併せて紹介しておきたい。
キャンディのファンのみなさまに

このページをみてくださっている’あなた’は古くからキャンディを心の友と思ってくださっている方でしょうか。

だとしたら、このような悲しいことになってしまい申しわけなく、哀しみにたえません……

この事の始まりはともあれ、いがらしさんを訴えたのは私なのです。

みなさんの中には、なぜ訴えたりしたのか、話しあいはできなかったのか、と思われる方も多いことでしょう。

私は、この事が起こる前も、また起こってからもそのときは代理人を通して話し合いを求めてきました。

けれど、結局、何の話しもできませんでした。
そのことが、私は心残りでたまりません。

25年の間、私はいがらしさんを大切な友人と思ってきました。青春時代、ひとつの作品を生み出した人は、年を重ねるにつれ、ふだん交流は深くなくても”特別の人”だったのです。
そして、彼女もそう思ってくれている、と信じていました。

今、私が彼女に問いかけることばは「なぜなの……!」このひとことです。

この事を公にすることは、キャンディを傷つけ、またファンのみなさまも悲しむことだろう、とためらいつづけているうちに、事件はひろがり多くの人を巻きこんでしまいました。

ホームページをつくったのは、”事のあらまし”を正確に伝えることが自分自身のため、また理解してほしい、と願ったからです。

もう二度と私のような思いをする”創作者”が生まれてほしくないのです。

このページをみたみなさまが、どんな感想をもたれようと私は受け入れるつもりです。

20年以上たち、キャンディは”親”の私たちをこえ、独立した人格と思っています。
立派に育った娘――私はそれだけで喜びでした。

”作品”は”作者”をこえて存在すればよい。
そうも思ってきたのに、この事件は私にも納得がいきません。

多くの人の夢をこわしてしまった…とたまらない気持ちでいたところ、ファンの方々の応援をうけ”この事件でキャンディは傷つかない”ともいわれました。大きく息をついた気分でした。

そう…あの子はこんなことでは傷つきません。
キャンディは今、涙をこらえつつ笑顔をむけてくれています。
私に、いがらしさんに、そしてファンのみなさまにも……
​
水木杏子
付録02

水木杏子からキャンディス・ホワイト・アードレーへの手紙

同ページ内テキスト、原作者からキャンディへのメッセージ「キャンディに」も紹介しておく。
キャンディ

あなたが自由に空を翔ぶのが わたしの願い……



涙の粒が多いほど

瞳は 輝く

くちびるは

やさしいことばと 笑顔のためにあるのだと

知っているあなただから…

もしも

歳月がこころをかえたと思っても

それは わるい夢

どこかに ほんとうの気持ちが眠っているはず

キャンディ

あなたなら 伝えられる

あのひとに 伝えられる

大切なものは

ほんとうに 大切なものは みえない

みえないものこそ 永遠だと……

キャンディ

風にのってあなたが駆けてくる

あなたの足音はいつもキラキラと光のこぼれる音

しあわせをつれてくる音



わたしは待っている

あなたがやってくるのを

丘の上でやわらかい風に吹かれながら……


​ 水木杏子旧公式サイト内「キャンディに」より

『キャンディ・キャンディ』の最終回と「二つのバッヂ」事件 ~水木杏子公認掲示板過去ログより

4/11/2013

 
水木杏子/名木田恵子公認ファンサイト「妖精村」掲示板で、旧小説版復刊当時(2003年)に『なかよし』連載版と単行本との変更点について尋ねられての原作者解答。
わたしの中のキャンディ
投稿者:名木田恵子 投稿日: 9月28日(日)21時51分29秒
(略)
キャンディについてもわたしの理想としては<人からではなく自分で考え、思いついて生きていってほしい>・・・そういうキャラクターにしてきたつもりです。
哀しいことがあったとき、人から何か言われて立ち直るのではなく、自分であっと気がついてほしいこと。その感情の流れが大切と思ってきました。けれどその<感情の流れ>を<どう絵として表現していいかわからない>といわれ、いくつかのシーンを<絵的解決>することで妥協しました。話の本筋にかかわらない限り<絵的効果>を優先しました。
しかし、いまも心残りの場面はいくつかあります。誰も気にとめないシーンであってもキャンディの生き方として、大切だったのに、と今になって思ったりしています。

そんな微妙なズレが多々おきたのが、終盤近く”キャンディがアルバートさんと暮らしはじめた頃”でした。そのとき、担当者が変わったのです。率直に言って、とたん、作品の質感が落ちました。原作者は原稿を担当に渡した時点で、手を離れます。ネームの相談には応じますが、ゲラになった作品を見て、原作と違う!仰天することがつづきました。
<二つのバッチ問題>がおきたのもこの頃です。新担当編集者は、なり手のいない(!?)<キャンディの担当>を引き受けてくれた人柄のよい人です。しかし、当然、立ち上がりから一緒に創ってきた編集者とは作品に対する”愛”が違いました。(わたしはね、ひとつの作品が出来上がっていくためには、本当に”見えない愛”の力が大切と思っているの・・)
新担当は、育てている別の漫画家の連載(しかも、キャンディと似た作品)がありました。大変だったと思います。

アルバートさんとキャンディのシーンも・・(安易・・)と思わずつぶやいたシーンがいくつかありました。

テリィと別れたキャンディの心がそう簡単に、ほかの誰かに移るはずがありません。
(また、簡単にアンソニーの面影を忘れ去ることなどもできません)
「キャンディを軽々しい女の子にだけはしないで」といったことを覚えています。

<好き、恋、愛>。アルバートさんへの深い愛が<恋>にいつ育つのか、また、アルバートさんの気持ちはどうなのか・・・それはまた、別の物語になるのでしょうね。

今回、小説版のゲラを読みながら、さまざまなことを思い返していました。
自分の原作者としての力を省みながら・・・。
すべて、原作の力不足から起きたことのような気もします。

キャンディは<強い子>でした。そして、素直な子でした。
悩みながら、つまづきながら、反省しながら、きっと本物の愛をつかんだことでしょう。
※"育てている別の漫画家の連載(しかも、キャンディと似た作品)"はいがらしゆみこのアシスタント出身である原ちえこ作、西洋大河ロマンものの『フォスティーヌ』(1978年3月号より連載開始)を指していると思われる。
別記事(ステアの戦死とアンソニーの「バラの死」)でも触れたが、連載終了間近の号では度々作画者による原作改変をめぐるトラブルがあった。
(尚、名木田/水木の原作原稿は小説形式で書かれており、各キャラクターの科白まできちんと書き込まれている)


物語の流れとしては、
  1. アルバート失踪
  2. ロックスタウンから発送された小包届く
  3. ドサまわりのテリィの姿を見る
  4. 帰宅、ジョルジュが迎えに
で大筋は変わらないのだが、
中公文庫版
1. アルバート失踪
ひとり寂しさに震えるキャンディ

モノローグ「どこにいるの……」
a. 「あたし はじめてアルバートさんを おいかけている……」「レイクウッドでさよならもいわずに別れた……」「ロンドンでも……」「だけど……またどこかで会えると信じていた いつかふっとあたしの前に立ってくれると……」
「いつだってそうだったから……」「あたしが悲しいときあたしがつらいとき いつもやさしく だきとめてくれるアルバートさんだから……」
「でもいまは……」
「会いたいの いますぐ会いたいのアルバートさん」「どこを さがしたらいいの……」

2. ロックスタウンから発送された小包届く

3. ドサまわりのテリィの姿を見る
客席にキャンディの「幻」を見たテリィは演技への情熱を取り戻し、

コマ1: テリィの背景のイメージシーンは『ブロードウェイで活躍する自分の姿』
モノローグ「よみがえるストラスフォードの日々…… ブロードウェイの舞台……」
コマ2: テリィモノローグ「これが おれの演技だ!」

4. 帰宅、ジョルジュが迎えに
ひとりきりの部屋でアルバートとの思い出にひたるキャンディ

おそろいのマグカップを見ながら回想「カーテンはこの色がすき!いいでしょ」「おそろいのパジャマかい」「イニシアルいりのモーニングカップ買っちゃった バーゲンでやすかったの」「いっしょにきめようっていったのに けっきょくキャンディ一人でえらんじゃうんだな」
モノローグ「ここは一人でくらすにはさびしすぎる……」

窓の外に元気な子供達の声。ポニーの丘の子供時代を思い出すキャンディ。
b. 「ポニーの丘……子どもたちのわらい声……」「ポニー先生……レイン先生……」「あたたかい窓べのあかり だんろの前のだんらん……」「帰ってらっしゃいキャンディ……ここがあなたの ふるさとよ……」

モノローグ「帰りたいポニーの丘に!」「ううん帰ろう!」「ひとりぼっちはいやだ!」「そして……ポニーの家からかよえるところに看護婦の仕事をみつけて……」

自分の原点を確認し、看護婦としての未来を見据えたところで部屋にノックの音。開けるとジョルジュ。
なかよし1979年1、2月号 版
1. アルバート失踪
ひとり寂しさに震えるキャンディ。
枕の下から『王子様のバッジ』を見つける。ポニーの丘の子供時代を思い出すキャンディ。

b. 「ポニーの丘……子どもたちのわらい声……」「ポニー先生……レイン先生……」「かえってらっしゃいキャンディ……ここがあなたの ふるさとよ……」「あたたかい窓べのあかり だんろの前のだんらん……」
モノローグ「かえりたい!ポニーの丘に……」「ううんかえろう!」「ひとりぼっちはいやだ!」「そして……ポニーの家からかよえるところに看護婦のしごとをみつけて……」

胸元で『王子様のバッジ』の鈴が鳴る。
モノローグ「王子様のバッジ二つある!」「一つは……あたしがずっとつけていて……もう一つは まくらの下から……」「なぜ……こんなところに……」「このベッドはアルバートさんがつかっていて……」
「もしかして……もしかしてアルバートさんはアードレー家の人……?」
「アルバートさんは……」
「会って……会ってたしかめたい……」「アルバートさんどこにいるの……」

2. ロックスタウンから発送された小包届く

3. ドサまわりのテリィの姿を見る
客席にキャンディの「幻」を見たテリィは演技への情熱を取り戻し、

コマ1: テリィの背景のイメージシーンは『キャンディの笑顔』
モノローグ「キャンディ…… まぼろしであっても きえないでくれ!」
コマ2: テリィモノローグ「おれはいま おまえのために演じている!」

4. 帰宅、ジョルジュが迎えに
ひとりきりの部屋でアルバートとの思い出にひたるキャンディ。

モノローグ「アルバートさん あたしポニーの家に帰ります」「ここは一人でくらすには さびしすぎる……」

a. 「アルバートさん……アルバートさんを あたしはじめて 追いかけてる……」「レイクウッドでさよならもいわずに別れた……」「ロンドンでも……」「だけど……またどこかで会えると信じていた いつかふっとあたしの前に立ってくれると……」
「いつだってそうだったから……」「あたしが悲しいとき あたしがつらいとき いつもやさしく だきとめてくれる アルバートさんだから……」
「会いたいの…… すぐにでも会いたいのアルバートさん……」

キャンディがアルバートに対する思慕をつのらせているところで部屋にノックの音。
モノローグ「アルバートさん!」
開けるとジョルジュ。

​
全体的に、漫画家による原作改変『なかよし』版は「キャンディ、テリィとも恋愛脳」
原作者の抗議により修正された単行本収録版は「キャンディ、テリィとも過去の苦しい恋愛を乗り越えて職業人として再起を決意」
講談社『月刊なかよし』1979年1月号、2月号
「二つのバッヂ」事件
冬の小窓~二つのバッジ
(略)
問題のシーンは、アルバートさんと暮らしていたキャンディがアルバートさんの枕の下から<丘の上の王子さま>からもらったバッジと同じものをみつけるのです。

わたしは、その回のネームのチェックができませんでした。
その頃、わたしは海外に行く事が多くなっていて、それ以前にも旅行中にわたしにとっては<大事件>がおきていました。
しかし、<その件>は物語的には大筋からは外れないので、個人的なこだわりとして心のなかで折り合いをつけました。
しかし、その回の<バッジ>は困ります。
「あんな大切なものが二個も三個も出てきたらたまらない!」とわたしは新担当といがらしさんに怒りました。当時、担当は新しい編集者に交代したばかりでした。
___アルバートさんが<丘の上の王子さま>であるという<伏線>がいると思った、
というのが<枕の下から都合よくバッジが出てきたシーン>を無断で書き加えた新担当といがらしさんのお答えでした。わたしが旅行中でいなかったことも、相談できず、無責任だったかもしれません。
しかし、これこそ<物語の大筋に関る大切な事>とわたしは激しくいいつのったと思います。
(略)

名木田恵子旧公式サイト内「小窓から」より
名木田氏は最終回前の数回分の原稿はまとめて執筆して編集に渡して旅行に出かけた為、連載時のいがらし氏によるエピソード配置の変更や無断改変・原作にないシーンの挿入には対応できなかった。

(ちなみにキャンディ終盤で名木田氏が旅行がちだったのは、毎日新聞社の「旅にでようよ」という雑誌で紀行エッセイを連載していた為。キャンディ最終回を執筆したフランス編を含めて『名木田恵子ひとり旅 』という単行本にまとまっている)


企画立ち上げ時の担当編集者と名木田氏はこの作品を「少女の成長ドラマ」と捉えていたが、漫画家と二代目担当は「スイートなラブストーリー」と解釈し、原作原稿を改変し自分達の望む方向に引っ張っていこうとしていたようだ。

帰国した名木田氏は漫画家に申し入れて単行本化の際には原作に沿った内容に改めさせ、エッセイ(「我が友、キャンディ」)などでは「幸い、担当もいがらし氏もこんな私をよく理解してくれた」と書いているが、実際のところいがらし氏は「私の仕事に上からケチをつけて…」と、内心不満を募らせていたのだろうと思う。


平成11年9月3日付けで旧いがらしゆみこ公式サイトにあげられた、一連の事件の自己正当化の声明文には、
4年半の長編で、私は名木田さんから参考資料として何一つ用意してもらったことはありませんでした。
最後にたった1枚だけ送られてきた写真は、わざわざ最終回を書くために、ヨーロッパの古城のホテルに行き、そこのライティングデスクで書き上げた原稿の束を撮ったものでした。
その最終回の原稿はとても使える出来ではなく、旅行中の彼女にリテイクを出す術もなく清水さんから変わった編集さんは、別の編集部に移った清水さんを 私の仕事場に呼んで来てくれて、3人で相談しましたが、結局「おゆみの描きたいように描きなさい」との結論を出してくれたのです。
とあった。現実には、名木田氏は確かにフランスのシャトーホテルで最終回を執筆したのだが、いがらし氏がネーム作業に入る前には帰国しており、いがらし氏や担当編集者と最終回の構成について電話で打ち合わせをしている。

事実関係としては、いがらし氏の声明文は真っ赤な嘘なのだが、意識的な捏造というよりも、長年腹に溜め込んでいた不満がフィルターになって過去の記憶が歪んでしまっているのではないかと思う。

つまり、実際に「名木田が旅行に行っていたせいで原作原稿を改変する相談ができなかった」のは、最終回(1979年3月号)ではなく最終回前に書き溜めて渡していった2話分(1979年1、2月号)の事。

その回について後からあれこれとクレームをつけられ、単行本化の際に原稿の書き直し作業を強いられたのを根に持っていた為に、四半世紀たって自己正当化の声明文を書く際に「自分の主観による感情的真実」としてああいう不正確かつ恨みがましい文章を書いてしまったと。
最終回の原稿について ◆ 水木杏子 1999-11-25 (Thu) 23:25:01 

(略)
結論を先にいうと、<キャンディの最終回>は自分としては原作から全くはずれてはいないと思っています。
しかし、いがらしさんからみると4年の連載中、一番構成に苦労した回だったでしょう。

わたしは、記念すべきキャンディの最終回をフランスのお城のホテルで書きました。
思い出として残したかったのです。
で、ちょっとうっとりしすぎていくら最終回が増ページといっても80枚弱も書いてしまったのです。
たしかに多すぎていがらしさんを困惑させてしまいました。枚数が多いと、物語をカットしたり、構成に時間がかかるのです。

最終回の原稿は、わたしにとっては<なぞとき>の回でありエピローグであったので懐かしい人たちがたくさん出てきます。
<なぞとき>というのは、もしわたしがキャンディならアルバートさんにあれも聞きたい・・・これも聞きたい・・・となるでしょう。それをいっぱいつめこみました。

当時のことで、覚えているのはいがらしさんが「もっとページがほしい」といっていたことです。
わたしは<ラストシーン>をいがらしさんと電話で相談してきめてから「収まらないでしょうからどこをカットしてもいい」といいました。(旅行中、とのことですが、フランスで最終回の原稿を書き、帰国後いがらしさんにわたしました。むろん、そのころ自宅にいました)

確かに、原作者として収まりきらない原稿を書いたことは、申しわけなかったと思っています。
​そういったことなどから、いがらしさんは25年もたって<使い物にならない>といったのでしょうか。

たいへんショックだったのは一審の<原作を書いていない証拠>としてその最終回の原稿(コピー)が提出されたことです。
原稿にはマーカーで「使用」「変更して使用」「カット」と色分けされていました。

もう過ぎたことなので書きますが、裁判官が「こんな原稿があるのに、なんで原作者ではないと(いがらしさんは)おっしゃるんでしょう」と首をかしげていました。
わたしの弁護士も「あっちからこっちの証拠がでたようなものですから、もう原作探さなくていいです」と憮然としていいました。(その後、屋根裏から生原稿を探し提出しましたが)

・・・・・
わたしが<最終回の原稿>について、語ることをためらったのは・・・
25年前、いがらしさんがその生原稿を記念に欲しがり、プレゼントしていたからです。
いがらしさんはお返しに登場人物のきれいな肖像画をプレゼントしてくれました。
エビタイね、とわたしはとてもうれしかった・・・。

25年ぶりにわたしは<原作を書いていない証拠>としてその最終回の原稿と対面したのです。
そのときの深い霧の闇に沈んでいくような気持ちを思い出したくなかったのです。
「我が友、キャンディ」
最終回執筆時のエピソードは『名木田恵子ひとり旅』やエッセイ「我が友、キャンディ」などで披露されている。
(略)
 最終回は、どこか美しい地で、ゆっくり彼女と語りたい。そんなことを考え、私は晩秋のパリヘむかった。
 パリから急行で二時間ほどいったリュンヌという村にあるお城のホテル、そこで最終回を書こうと思ったのだ。
 私にさまざまな幸福を与えてくれた彼女へのささやかなお礼の気持ちもあった。
 思っていた以上にその森の中に建つホテルは美しく、部屋に通されたとたん、私は涙ぐんでしまったほどだ。

 これで書いて下さい、というように部屋の真中におかれたアンティックなビュロー、壁にはキャンディにとって思い出深いきつね狩りの絵までかけられてあった。
 私はその部屋で、キャンディと対話しながら最終回を書きあげた。ペンを置いたときの体が浮くような感覚はまだ残っている。
 窓の外はもうまっ暗だった。
 枯れ葉が流れる音が聞こえていた。私は複雑な思いで何もみえない外をみつめていた。
 これでよかったのだ、いや、他にもっと書き方はなかったか――そんな思いとともに深い安堵感が私の中を漂っていた。

 あの日から、もう何年もたってしまった。なのに、今も時々彼女のことを尋ねられる。その多くが、なぜキャンディとテリィをむすばせてあげなかったのか、というお叱りなのだ。
 そのたびに私は、終ってもまだキャンディのことを思ってくれる読者の人々の気持ちに胸が熱くなり、みんなにとてもすまないことをしたような気がしてくる。
 けれど、テリィと別れることは初めから決っていたのだ。キャンディには三つの愛を考えていた。アンソニーとの淡いはかない初恋、テリイとの激しい恋、そしてアルバートさんとの運命的な穏やかな愛
 ――しかし、いがらし氏の描いたテリイがあまりにも素晴らしい少年だったため、人気が集中してしまったようだ。
 私でさえ、テリィの動きにほれぼれし、胸をときめかせた。キャンディとテリィの別れのシーンを書いている時、やけに息苦しく、目の前がくもるのでどうしたのだろう、とペンを置き、ハタと気づくと、呼吸するのを忘れ、目は涙でいっぱいだった。
 その場面を書き終ったあとも悲しくてたまらず、深夜一人で泣いていると起きてきたダンナサマがびつくりした顔をした。身内の誰かが亡くなった、ととっさに思ったらしい。
 あとで考えると、自分で物語を作りながらとおかしくなるのだが、書いている時は夢中でその世界にひたりこんでいる。
 本当に愛しあっていても運命のいたずらで別れなければならないこともある――そんな思いをこめて書いた場面なのだが、自分が恋人と別れたようにつらいのだ。
 原稿をわたしたあとも、しばらく私は重苦しい心をかかえていた。
(略)

初出『児童文芸』 一九八〇年陽春臨時増刊号、再録『マンガ批評大系4マンガ家は語る』 (1989年平凡社)より
「しあわせな主人公(ヒロイン)」
上記と同内容だが、発表時期が一番早い原稿と思われる1978年に『サンデー毎日』に連載された全6回のエッセイ「おんなの午後 名木田恵子編」のうち第4回「しあわせな主人公(ヒロイン)」を転載する。
十一月の半ば、十日ほど晩秋のパリを旅してきた。
 今、是が非でもいかなくてはならない旅ではなかったが、私は取材のほかにどうしてもやりたいことがあったのだった。水木杏子の筆名で書いている漫画の原作、キャンディ・キャンディの原稿があと一回で完結する。私はその最後の原稿をできるだけいい雰囲気のところに身を浸して書きたかった。
 少女趣味だと笑われるだろうか。だが、四年近く続いたこの連載といつか別れる日が来る事を思うたびに私はたまらない気持ちになった。最後の原稿を書き終えた自分を想い描くと胸が熱くなってくる。キャンディは、もう私の作品ではなく、生きた人間、私の友人になりきっていたのだ。
 原作の原稿ははやめに漫画家のいがらし氏にわたす。彼女には彼女のキャンディとのつきあい方がある。なるべく早くラストまで書いてほしいといがらし氏に頼まれたが、私は進んでペンを取る気にはなれなかった。
 そんな時、パリ行きの話が出たのだ。
 キャンディを書くためならアメリカのミシガン州かカナダのほうがぴったりくる。が、贅沢はいっていられない。私はこの旅の間にキャンディのラストを書くことを心に決めた。できればパリの郊外、すてきなところで――。
 我ながら感傷的だとは思う。ものを書くのに場所など関係ないこともよくわかっている。三畳の部屋、ミカン箱の上で書いてもいい作品はいい。すてきなところで書いたとしてもキャンディが上等の作品にできあがるとは思えなかったが、私は彼女(ルビ:キャンディ)にそれくらいの贅沢をさせたかった。
 私自身のため、というよりは私にさまざまな喜びを与えてくれたキャンディに感謝の気持ちをこめて別れをいいたかったのだ。
 運よく私が望んでいたロワール川の近くのホテルがとれた。私は喜々としてパリからリュンヌという小さな村に向かった。特急で二時間、さらに車で一時間余り。夕ぐれ。そのホテルに着いた私はあまりの美しさに声を失った。白い両開きの扉の横でカンテラが光っている。昔は領主の城だったという森の中のそのホテルは小さな宝石箱のようだ。客もいないのか静まり返っている。
 部屋に案内された私は感激で思わず涙ぐんでいた。アンティックなビューロー、昔風のベッド、白い半円形の窓――それになんとキャンディの話の中にでてくるきつね狩りの絵がかかっていたのだ(キャンディは恋人をきつね狩りで失っている)。
 まるであなたのために用意されたみたいね――私は胸の中のキャンディにそっといっていた。
翌朝、散歩から帰ると私はキャンディの最終回を書きはじめた。疲れると窓のむこうにひろがる緑色の沼をみつめた。いつもの通り感情ばかり先走ってうまい作品とは自分でも思えない。しかし“完”と書き終え、日時を隅に記入したとたん、こみあげてくるものがあった。甘酸っぱい幸福感――いったい物書きは、あの主人公(ルビ:ヒロイン)は幸福だった、といいきれる作品をどのくらい書けるだろう。私は生涯に一人だけでも幸福な主人公(ルビ:ヒロイン)を持てたことがたまらなくうれしかった。
 まだ仕事としてはキャンディの小説第三巻が残っている。が、キャンディとその仲間達と親しく会うことはもうないだろう。私は私の中の通りすぎていく彼女達に、ありがとう、さようなら、とつぶやいていた。
(キャンディ・キャンディの原作者)

『サンデー毎日(1978年12月17日号)』P129掲載 「おんなの午後(4) しあわせな主人公(ルビ:ヒロイン)/ 名木田恵子」 より
『サンデー毎日』の1978年12月17日号は同年12月4日発売、「キャンディ・キャンディ」の最終回が掲載された『なかよし』1979年3月号はそれから約2ヶ月後の1979年2月2日発売のはず。一般週刊誌でも国民的大ブームとなった作品の完結はニュースとして注目され、今や「時の人」である原作者の創作秘話掲載が歓迎されたのだ。

短いエッセイとはいえ転載は著作権法上よろしくないのだが、いがらし氏と親しい日本マンガ学会理事が「いがらしは水木の原作原稿を一切見ずに最終回を描いた」などと虚偽を吹聴し、最高裁判決後の問題解決を困難にしたという事情があるため、当時を知ることができる貴重な資料としてあえて記録しておく(権利者より指摘があった場合は即座に消去します)。
参考:『キャンディ・キャンディ』の設定やキャラクターに関する原作者発言を含む記事​
  • 『キャンディ・キャンディボックス : なつかしいポニーの丘から』について
  • 『小説キャンディ・キャンディFINAL STORY』に関する著者一問一答
  • ステアの戦死とアンソニーの「バラの死」
  • 復刊ドットコム版『小説キャンディ・キャンディ』刊行の経緯
  • 『キャンディ・キャンディ』の年表とキャラクターの生年月日
名木田恵子/水木杏子/加津綾子/香田あかね 原作漫画リストTOP

『編集王(土田世紀)』とキャンディ・キャンディ

4/30/2012

 

ビッグコミックスピリッツ掲載&単行本3巻

土田世紀『編集王』小学館ビッグコミックス第3巻
 小学館「ビッグコミックスピリッツ」に1993年から連載された『編集王』の第26話トビラには、『キャンディ・キャンディ』最終回ラストの見開きページがそのまま転載使用されていました。

この掲載当時、キャンディの版権管理は未だ講談社が行っていたので、この場合、担当編集者が講談社に連絡して転載許可をとるのが普通の処理でしょう。

複数著作者の作品だからその方が事務処理的に楽かつ確実ですし、キャンディは講談社の「編集部主導企画もの」色が強い作品です。出版社同士の仁義というものがありますから。

​ところが何故かこの時、担当編集者は「漫画作画者であるいがらしゆみこに直接連絡して転載の許可をとる」というおかしな処理をします。これがトラブルの始まり。
春の小窓<まんが編集者たちへの願い>のUPと<いきなり最終回>について ◆ 水木杏子 2001-03-10 (Sat) 17:18:32
そのころは<講談社>と契約していたので、
そういった<依頼>はまず講談社を通してくるのが慣例でした。
<この本の件と編集王>に限っては、講談社を通していません。
小学館の担当編集者は講談社に仁義を通さず、漫画作画者に直接連絡し「水木さんには私が伝えておくから」という言葉を受けて漫画家に後処理を丸投げ。(懇意という程でもない「漫画家の先生」に、本来自分のすべき仕事を任せて手をわずらわせるというのもいかがなものなんだ)

その後は原作者には掲載誌の献本もしなけりゃ、単行本化の際も挨拶なし献本なし。
いがらしゆみこに献本していたかは不明。
(この件はいがらしさんが水木に連絡をしたことになっているようですが記憶にありません。しかし、その点は曖昧なのでわたしも何もいえません。)

参考:水木杏子公式サイト内まんが編集王事件
いがらし氏が雑談の途中で話に出したのを水木氏が聞き流した等の可能性もなきにしもあらず、また、いがらし氏が悪意なくうっかり伝えるのを忘れていた、という可能性もなきにしもあらずではありますが。

……これに先立つ1991年刊行の『いきなり最終回 part3』の件がある以上、いがらし氏の「悪意なきミス」とは考えづらいのですよ。

参考:いきなり最終回part3の無断掲載

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