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アニメック第23号(昭和57年4月)ザ・プロフェッショナル第四回 いがらしゆみこ

3/2/2017

 
ラポート社『アニメック』1982年23号
最高裁判決前後のいがらし氏は、自分の原作者否定発言は法廷戦術として弁護士から強制された的な言い訳をしていたのですが、トゥゲッターで広まった某先生の発言を見ると、相変わらず周囲には「後からつけられたシナリオ補に権利を奪われた」ようなことを吹聴してるっぽいですね。

で、そんないがらしゆみこ先生が問題を起こす遥か以前の1982年にラポート社の『アニメック』誌で受けたロングインタビューでの発言。
01
――では、『キャンディ・キャンディ』が出たところで、そのお話を。まず、原作つきですとどんなプロセスで展開しますか。
「『キャンディ』の場合は、発端は編集さんだったんです。『アルプスの少女ハイジ』を観た私の担当さんが、何といい話だろうって感動して、こういうのマンガでやろう、原作つきでやってみないかというお話が私のところに。
原作の水木さんは昔、青池さんと組んでやってらしたでしょ、『グリーンヒル』とか……。『キャンディ・キャンディ』は彼女の得意な分野だから、お見合いして、よかったらGO――と」

――ハァ、お見合いですか。
「ええ、やっぱりあちらの感性とこちらの感性で一致するものがないと、うまくいかないし」

――一本づつ打ち合わせを。
「わりとその都度やってましたね。原作をマンガに直しちゃうと、その続きを今度はまた彼女と話しあって。文章を絵にする場合、そのまんま、っていうのは絶対ムリですからね。たえずコンタクトしてやってました」

――そうすると、ストーリーがだんだん変化していく場合も……。
「やっぱりあるんです。第一次世界大戦は、ストーリーが進んでからいれることになったエピソード。結局、年代を定かにしちゃうとキャラクターの年齢が出ちゃうでしょ。『キャンディ』では途中で生まれた年月日をバラシちゃったんですよねぇ。読者がとても知りたがったものだから。そうすると、第一次大戦終わるとキャンディ、20になるの。"なかよし"で20で何描こう、ってなっちゃうじゃない(笑)。それに、時代考証っていうのは目いっぱい手カセ足カセになってしまう場合があるから……。私はまぁ、時代はいつでもいいじゃないか、国はどこでもいいじゃないか(笑)って思うタチなのね。無国籍マンガってすごく好きだから………(笑)」

――文章って、小説のように書いてあるんですか。
「ほとんどそうです。――青い空、白い雲が流れて、むこうの景色まで見わたせるような澄んだ空気の中を、彼女は走っていた――と。アー、どうしよう(笑)アー、ムズカシイ(笑)って」

――ネームは指定があるんですか。
「ないです。好きにやって下さい、みたいなカンジで……。水木さんとは、年代がすごく似てるから、違和感ってゼンゼンないのね。やりやすかった」

アニメック第23号(昭和57年4月)ザ・プロフェッショナル第四回より
↑企画は編集部で、自分に話が持ち込まれた時には既に原作をつけることが決まっていた、と語ってますね。
水木氏の証言や『封印作品の謎』に掲載されている講談社の担当編集者の陳述内容と一致しています。

それが契約違反で訴えられた途端に
「キャンディ・キャンディ」は私と担当の編集者との間で企画が生まれ、後にストーリー補強のため原作者を選ぶ形で制作を開始した作品
などという主張を始めるわけです。しかも、相手によって、時期によって、
「水木はうちのプロダクションで時代考証関係の資料整理をやってただけの人間。手違いで原作者として表記された」
「水木は『時代考証はよくわからないから、後はおゆみよろしくね!』と丸投げだった」
「水木の原作はペラ一枚に走り書きしただけの到底原作などと呼べないシロモノだった」
「水木の原作は無闇に長くて、私が大幅に改編して構成し直さなければ使い物にならなかった」
…と発言内容がコロッコロ変わる。

最終回にいたっては、周囲の人間には「最終回の内容はとっくの昔に決めていた。原作は見ずに書いた」と言いながら、裁判所に「水木が原作を書いていない証拠品」として最終回の原作原稿に「ここはカット。ここは改変して使用。ここは使用」とマーカーで注釈を入れて提出。

こんな調子のいがらし氏が吹聴している話を鵜呑みに出来る人の精神構造ってのも、良くわかんないよね。
02

『まんが原作者インタビューズ(同文書院1999年)』より水木杏子の発言

ご参考までに、伊藤彩子・著『まんが原作者インタビューズ―ヒットストーリーはこう創られる!』同文書院 (1999/10)より、水木杏子が語る「キャンディ・キャンディ」の連載企画の発端について。
――『キャンディ』っていうのは、いがらしさんが連載をやることが決まってて、編集サイドから企画が出されて、じゃあ原作者は誰にしようってことで水木さんにお話がきたんですか。

水木:正確にいうと、『なかよし』編集長の企画で「少女名作まんが」をやることになって、いがらしさんと私がコンビを組むことになったのね。私の方は前々から「いつか名作ものやるぞ、考えとけよ」と東浦さんに言われていました。いがらしさんの方は、どう言われていたのかはわからないけど。

――東浦さんが少女名作ものにこだわっていたっていうのは、それをストーリーまんがにしたら、面白いものになるっていう確信があったからなんですか?

水木:そうでしょうね。東浦さん自身が当時、雑誌のインタビューでそう言ってらしたように記憶しています。(略)

『まんが原作者インタビューズ―ヒットストーリーはこう創られる!』P156-157より
連載中の漫画家との打ち合わせについて。
――原稿を編集者に渡したら、もう雑誌に載るまで見ないっていう感じだったんですか?

水木:いえいえ、原稿を読んだ後、いがらしさんから深夜電話があって、よく相談しました。たいてい、私の原稿が長くて収まらないというのね。まんが家にしてみれば、ここで大きくページを取りたい、というのも分かるし、途中で切れば次の「引き」を考えなくてはならない。「引き」は大切で、担当から「引き」が面白くないと文句を言われるし、そうそうハラハラドキドキの「引き」を考えられない。
生原稿で、同じシーンがいろんなパターンで何回も書いてあるのが残っていて、思い出すとみんな「引き」のためにそこだけ書き直していたのね。

​『まんが原作者インタビューズ―ヒットストーリーはこう創られる!』P162-163より
こういう手順で作られていった事実を、いがらし氏と親しい漫画業界人は「少女マンガの女王いがらしサンに、新人だった水木さんは当初言われるままに書かされてきた」などと意図的に歪曲して流布してきたわけです。

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