漫画作品ではないが、『なかよし』1979年10月号には「千鶴と夕のSecret Memory」というノートが付録としてつけられていた。名称通り"高橋千鶴"先生と"あさぎり夕"先生のイラスト入りのノートなのだが、高橋先生のイラスト表紙の右とじノートを開くと、片側ページは高橋先生のワンポイントイラストをあしらったノート紙、その裏面は「ストーリー:名木田恵子、イラスト:あさぎり夕」による「さよならの森」という絵物語で構成されている(高橋千鶴のカラーイラストと名木田恵子のポエム「口ぐせ」を組み合わせた口絵も一枚有)。
描きおろしのイラストは故あさぎり先生の公式サイト「あさぎり夕らんど」のイラストギャラリーに「妖精の涙」というタイトルで別テキストを添付した上で全ページ分が再録されている。 オリジナルテキストは名木田恵子公認ファンサイト「妖精村」に作者の許諾を受けた上で再録されていたのだが、妖精村が活動終了してしまったために現在ではインターネットアーカイブ経由でしか閲覧できない。流石に小説作品をまるまる無断転載する訳にもいかないので、ここではweb.archive.orgのリンクを貼るだけにとどめる。
参考: ステアの戦死とアンソニーの「バラの死」 イラスト・テキスト共に埋もれさせるのは惜しい作品なので、なんらかの形で復刻してほしいのだが。
『週刊少女フレンド』 1979年18号ではカラー企画「阿保美代のミニ絵本 高原のはるかなる恋人へ――まつむし草」のテキストを担当している。(古書店くだん書房さんの目録内に冒頭の見本有)
同年の20号ではアンネ株式会社のティーン向け啓蒙企画としてやはり阿保美代のカラーイラストと名木田恵子のポエムという組み合わせによる「いつか翔ぶ日」が掲載された。
また、同誌年末の数号では応募者全員プレゼント企画として、翌80年版の手帳「FRIEND DIARY 1980」が希望者に配布されたが、各月扉ページは人気漫画家のカラーイラスト+星座をモチーフにした名木田恵子のポエムという仕様だった。
講談社『月刊ミミ mimi』 1979年3月号では「フォトイメージ恋人に To My Sweetheart」と題して、カメラマン武藤義による西城秀樹の写真に名木田恵子が詩を添える企画が掲載されている。
カーテンが揺れる12月の小窓 漫画原作を書いていた頃 PART 3
『ひとみ』1981年3月号付録「プルミエ・ミュゲ メモリアルサイン色紙」には名木田恵子名義によるポエム「思い出のページ」が添えられている。
コメントの受け付けは終了しました。
|
カテゴリ
すべて
アーカイブ
2月 2022
|