講談社『なかよし』誌における「キャンディ・キャンディ」連載終盤、企画立ち上げから密に作品と関わっていた初代担当者が抜けて新たな担当に交代してから、立て続けに三件の原作原稿改変トラブルが起こっている。
アリステア・コーンウェルの戦死
1999年インタビューにて漫画原作の仕事から退いた理由をたずねられて。
水木:それは……、私にとってはとてもとても大切なステアが亡くなるシーンが原因で……。ステアは戦争に行って、空中戦で戦死するんだけど、そのときね、敵国のすばらしいパイロットと対戦して、まんがではそのパイロットともステアのパイロットとしての腕に友情を覚えるの。そのとき、ステアが誰だか分からない人の手で撃たれてしまう。 水木:(略)でもね、空中戦で撃たれるのは同じだから、これは私のこだわりでしょうね。ちょうどその時は海外に行っていて、いがらしさんのネームの相談にものれなかったし。私の責任でもあるの。(略)
1980年初出のエッセイ「我が友、キャンディ」にも同内容の記述がある。
我が友、キャンディ
問題の回を収録した『月刊なかよし』1978年12月号は11月3日ごろ発売。
文脈からすると、原作原稿の入稿時に新担当と綿密な打ち合わせを行なった上で海外旅行に出たが、旅行中に作画者と二代目担当編集者が原作の意図を無視した改変を加えてネームからペン入れまで済ませて入稿、原作者の帰国時には既にゲラ刷り段階まで進んでいたということらしい。 アンソニーの「薔薇色の死」
ちなみに「アンソニーの死」についても原作者の初期構想とは違った展開になっているが、これについては漫画家の意向とは全く関係なく、原作執筆段階で初代担当編集者と原作者の話しあいの末に、「やむなし」と受け入れた上で修正し最終入稿している。
参考:名木田恵子(水木杏子)旧公式サイトKeiko Nagitaの小窓から内の連載エッセイ「キャンディとであったころ」最終回「バラ色の死」web.archive.org 該当発言のあるエッセイ「キャンディとであったころ」全体は、もともと1999年当時、水木杏子旧公式サイトで連載されていたものだが、後に原作者公認ファンサイトに保存を委託され、無断転載、二次使用禁止、サイト内記事の直リンク禁止という条件のもとで公開されている。原作者とサイトオーナーの意向を尊重した上で閲覧願いたい(ファンサイトに委託した理由については名木田恵子公認ファンサイト妖精村にて事情説明のログが保存されていたのでそちらも御一読を)。 参考:水木杏子公認ファンサイトMisaki's Candy Candy 内「キャンディとであったころ」
エッセイ内でアンソニーの死による退場の源流としてオルコットの『八人のいとこ』があげられているが、正確には続編の『花ざかりのローズ』を指すと思われる。ちなみに『~ローズ』ではスコットランド氏族の若き族長と孤児の少女の恋愛というモチーフも登場する。
尚、「少年が薔薇の毒で死ぬ」という詩的イメージは、後に『なかよし』1979年10月号付録「千鶴と夕のSecret Memory」に収録された「さよならの森(イラスト:あさぎり夕)」という絵物語で生かされている。
参考: 名木田恵子/水木杏子 原作漫画リスト1979年度
小ネタだが、1979年頃に学研『Fair Lady (フェアレディ)』の編集部で名木田恵子(水木杏子)氏の原稿取りを担当していた方のブログ記事によると、『キャンディ・キャンディ』連載中、既に死亡したキャラをうっかり登場させてしまい電話口で修正を伝えたことがあったそうだ。どのキャラのことだろうか。
参考:ディープ・タマちゃん Tamachan the onion deep (May 10, 2005) 原稿取りの日々 『なかよし』1978年6月号インタビュー
『なかよし』1978年5月号で「キャンディ・キャンディ」は第3部完結、翌6月号では休載し、代わりに「いがらし・水木両先生に緊急インタビュー キャンディ・キャンディ第4部はどうなる?」と題した記事が掲載された。以下、前半部を抜き書き。
テリィとキャンディのこれからは……? イライザとニールがまたまた大活躍!
……と、このように連載中も原作者の存在は周知されていたにもかかわらず、「原作者は名ばかりの存在」と吹聴して権利を否定するいがらし先生とそれに追従する日本マンガ学会は強心臓極まりない。
「三つの愛」と「母親探し」(略)みなし子だから母を探すという今までの常識を度外視して前向きに生きる女の子の人生に3つの愛――ひとつめははかないアンソニーとの初恋、透明感のある男の子とのやさしさだけの愛、次にテリィとの激しい青春の愛、好きでも別れなければならない愛、最後にアルバートさんとのおだやかな愛を入れて書きました。
孤児が主人公でも「母親探し」はしない(母もの、出生の秘密もの、貴種流離譚にはしない。過去ではなく明日をみつめる少女の自立を描く)というのも各種インタビューで繰り返し語られている作品の根本精神であり、『まんが原作者インタビューズ』でも連載開始時に決定したコンセプトとして再度言及されている(キャンディの母親に関する下世話な妄想を吹聴する人たちがいるせいかもしれない)。
(略)いくつか決めたことは、「母親探しはやめよう」ってこと。親が誰であれ、運命を受け入れて、ひとりで生きていくことが大事なんだってことを言いたかった。
ケイブンシャの大百科には「キャンディを生んだすてきな”おねえさま”水木杏子先生」のインタビューと共に、「キャンディの笑顔で日本中を魅了したいがらしゆみこ先生」の第一回講談社まんが賞受賞のよろこびの声を記したページもある。
(略)「キャンディ・キャンディ」は、私がかいてきたまんがの中では、いちばん長い連載です。原作者の水木杏子さんと私との間に生まれ「なかよし」の編しゅうの方たちと、私の仲間たちに栄養をもらいながら育ってきた子供のような気がします。
いがらしゆみこと組んで原作者に無断でキャンディグッズを製造販売した業者は、驚いてコンタクトをとった水木杏子に「原作者だという証拠をみせろ」と言い放ったそうだが、単行本の表紙やアニメOPのテロップ、放映当時のキャラクターグッズに原作者表記があり、キャンディブーム当時には各種媒体で原作者が顔出しでインタビューに答えている上、いがらしゆみこ自身が水木杏子を「原作者」に位置付けている発言も山ほどあるのだが……版権詐欺の片棒をかつぐような企業はどこも強心臓極まりない。
参考:『キャンディ・キャンディ』の設定やキャラクターに関する原作者発言を含む記事
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