『なかよし』1977年6月号付録「なかよしまんが新聞・キャンディ百科大特集号」ではキャンディの生年を1898年と記載してありますが、第一次世界大戦を基準に作中描写から判断すると以下のように1899年生まれとするのが妥当です。
※ キャンディがラガン家奉公時代に13歳の誕生日を迎えているために、まんが新聞記載の年表「キャンディのりれき書」では、この期間に年を跨いだという勘違いに基づく記述があり、このせいで編集者がキャンディの生年を間違えたと推測されます。
コーンウェル兄弟とアンソニーの生まれ年
1975年8月号(メキシコ行きの頃)の登場人物紹介では
連載時、メキシコ送りの展開(1912年秋バラの咲く頃)の号につけられた人物紹介では上記の通りですが、
作中1914年5月、キャンディ15歳の年にアメリカに帰国した際、ステアが4歳年長とすると、19歳になってもまだ聖ポール学院在学中になってしまいます。この時点で18歳というのが設定上ギリギリ、つまりステアは1895年~97年生まれということになります。
※ 英国の学校は9月新学期制だが、70年代くらいまでの年少向け漫画では読者の混乱を避けるために日本と同じ4月始まりに設定してある場合も多い。本作ではアードレー一族周辺人物はアンソニーの死後、晩秋から冬にかけて中途編入しており、進級試験の描写もないので、何月始まりの設定になっているのかはわからない。
1977年6月号付録「まんが新聞」記載の生年月日では
※ 実際に印刷された付録ではステアとアーチーの誕生日が入れ替わっている(原作者・水木杏子が公式サイトで編集段階でのミスと表明)。
『小説キャンディ・キャンディFINAL STORY』では、このあたりの整合性をとっており、アーチーからキャンディに宛てた手紙の中で
二歳違いのふたりきりの兄弟だったのに 同い年のアンソニーとは喧嘩もした。
という記述があります(下巻220、221頁)
生まれ年と年齢差、13歳のキャンディとレイクウッドで過ごした時期(1912年4月~9月)の年齢を考え合わせると、 アンソニーは1897年9月生まれで1912年春にキャンディと出会った時点で14歳、同年生まれのアーチーも14歳だが作中5月末に15歳の誕生日をむかえ、ステアは弟より約一年8ヶ月早い1895年10月生まれでレイクウッド編の範囲では16歳……というのが妥当な解釈になります(作中で誕生日を祝う描写がないので、アンソニーは15歳になる直前の9月中旬に死亡したのでしょう)。 ステアが自動車を運転できる年齢であること、アーチーの方がアンソニーよりやや年長に描写されていること等の作中描写とも整合性がとれますし。 まとめると以下のようになります
この生まれ年で計算すると、ステアは聖ポール学園最終学年の時点で政情が不穏になりアメリカ帰国、アメリカでの進学先を検討中に大戦勃発、19歳の誕生日を迎えて「大人の男としての責任」を強く意識し、志願兵に……という流れが見えてきます。
ステアの戦死は1915年の秋ですが、10月に20歳の誕生日を迎える直前に亡くなったと解釈する方が「純粋な少年が大人の世界の壁にぶつかって、その純粋さゆえに砕け散った」という意味合いのドラマとして相応しく感じます。 テリィとスザナの生まれ年
まんが新聞ではテリュース・G・グランチェスターの生年月日を 1897年1月28日と記載していますが、
原作者・水木杏子が公認サイト掲示板で2005年にファンからの質問に答えた発言によると、「スザナの年齢ですが、キャンディよりは年上、テリィよりは年下、と思っていてくださいね。」ということなので、スザナ・マーロウの生年は1897~98年と推定できますが、いくら有望新人でも16歳でシェイクスピア劇の主演は難しいので、97年生まれで片足切断事故は17歳の冬というのが妥当でしょう。 アルバートとローズマリーの年齢
『小説キャンディ・キャンディ FINAL STORY』下巻297、300頁によると、
ウィリアムの跡継ぎは当時まだ八歳の僕しかいない。 あと少し耐えさえすれば、一族の誰も通っていないイギリスの大学への留学が決まっていた。 十七歳にもなって、自由もなく、名前だけが独り歩きしている
よって
1888年、スコットランド移民の事業家ウィリアム・C・アードレーに長男ウィリアム・アルバート生まれる。ほどなくして妻プリシラ死亡。
ウィリアム・Aが6歳前後の頃に姉ローズマリーが船員のブラウン氏と大恋愛の末、親族の反対を押し切って駆け落ち婚。 1896年、ウィリアム・Cが急逝し、8歳のウィリアム・Aが相続人となる。事業への影響を考慮してウィリアム・Cの葬儀は内々で済まされる。妊娠中のローズマリーも実家に戻り葬儀に参列、幼い弟の後見や安全な出産と我が子の養育などを理由に叔母たちに引き留められる 翌97年、ローズマリーは9月に男児アンソニーを出産するが体調を崩す。 1902~3年ごろ、幼いアンソニーを残してバラの散る季節にローズマリー死去。 1905年秋、レイクウッドで一族の会合に加わることを望んだウィリアム・Aはキルトで正装したが、伯母のエルロイから強く咎められ、自動車に乗って別荘を飛び出す。丘の上でソバカスの少女と出会う。 1910年8月、ウィリアム・Aはロンドンの大学を卒業し、正式に事業を継ぐ前に見聞を広める遊学という名目で世界中を旅してまわる。 1912年5月、たまたま里帰りしていた際に川でおぼれているソバカスの少女を助ける。
……となります。
(イギリスの大学は三年制で、名門子弟が卒業後に諸国遊学(グランド・ツアー)をするのはよくあるパターンです)
以上、あくまで公開されているデータから辻褄合わせをするとこういうタイムラインになりますよ、という推測であり、公式設定がこうだと主張している訳ではありませんので、その点はご留意ください。
参考:『キャンディ・キャンディ』の設定やキャラクターに関する原作者発言を含む記事
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