キャンディ・キャンディ事件解決の為に最大限の尽力をした講談社
梶原一騎の著作権を否定した いがらしゆみこ
まず地裁における いがらしゆみこ氏の主張を記します。
<証人尋問>でいがらし氏はこう証言しています。
つまり、原作者がキャラクターデザインにまで参加し、作画資料を提供し、ネーム形式で書かれた原作原稿でない限り、「漫画原作」としての法的権利は有しないという主張です。
漫画『キャンディ・キャンディ』の原作は400字詰原稿用紙2,000枚超に書かれた小説形式のものである為に、「原作」ではなく単なる「参考資料」に過ぎないというのです。 近年はネーム形式の原作者も増えましたが、日本の漫画史を築き上げてきた多くの漫画・劇画原作者、例えば梶原一騎、福本和也、小池一夫、雁屋哲、武論尊、牛次郎、工藤かずや、佐々木守… といった大御所作家たちの原稿は小説形式や脚本形式で書かれています。 万が一にも いがらし氏の主張が法廷で認められ、判例となっていたら、このような大御所作家たちの著作権は否定され、彼らが人生をかけて紡いできた物語は「単なる参考資料」に貶められ、創作者としての名誉も法的権利も奪われてしまうところでした。 そのような悪夢を防いだのが、講談社が裁判所に提出した仔細な陳述書だったのです。 講談社の『キャンディ・キャンディ』担当編集者(企画立ち上げから第3部完まで)だった清水満郎氏が98年3月、地裁に提出した陳述書の要約1.『キャンディ』の誕生理由
また、事件以前は いがらしゆみこ氏自身も「企画は編集部」「自分に話が持ち込まれた時には既に原作をつけることが決まっていた」と公言していました。
参照: アニメック第23号(昭和57年4月)ザ・プロフェッショナル第四回 「原作付き漫画」の著作権
講談社版権事業推進部長・新藤征夫氏が98年10月、地裁に提出した陳述書の要約。
1.「原作付き漫画」の著作権
新藤氏は地裁判決の翌朝の新聞にも同様のコメントを寄せております。
漫画「キャンディ・キャンディ」の版権を以前管理していた出版元の講談社の新藤征夫・版権事業推進部長の話 講談社顧問弁護士の見解
講談社社史編纂室部長・竹村好史氏 談
――――講談社が「原作が原著作物である」という判断をしたのはなぜですか?
(株)講談社の見解では初めから「水木杏子は”原著作者”」であり、連載時からその見解に沿った法的処理がなされていました。
にもかかわらず、日本マンガ学会では「最高裁判決で水木を原著作者と位置づけたのは、漫画界の実情を反映しない不条理な判決」とネガティブキャンペーンをはり、原著作者をカヤの外に置いて作画者一人を著作権フォーラムにまねき、最高裁判決を非難しました。 そればかりでは終わらず、 日本マンガ学会著作権部会は、2005年10月13日の第3回著作権部会の席上で 「キャンディ・キャンディ」のマンガ部分は、二次的著作物という解釈ではなく、ストーリー部分との共同著作物であるとなぜ解釈できないのか。
等と最高裁判決及び講談社法務部の法的見解を非難し、原著作者・水木氏と商標権保持者である(株)東映アニメーションの正当な権利を侵して違法グッズを制作販売した業者を「被害者」と位置づけ、新たな裁判を起こすための扇動まで行っています。
「いがらしの為の企画」ではなかった
講談社社史編纂室部長・竹村好史氏 談
「『世界の名作のいいところを全部出せないか』というようなコンセプトだったと思います。そんな露骨な言い方はしなかったとは思いますが……。 東京地裁の判断
東京地裁判決文
しかし、本件においては、前記第二、一(前提となる事実関係)に証拠(甲一、一二、丙一の1ないし5、二の1ないし4、三ないし七、九、一〇)及び弁論の全趣旨を総合すれば、 講談社側の証言まとめ
講談社側の証言を総合すると、
ということのようです。 日本マンガ学会理事が教育現場を含む様々な場で吹聴している、「少女マンガの女王いがらしサンに、新人だった水木さんは当初言われるままに書かされてきた」が真っ赤な嘘であることは明白です。 講談社が再びキャンディ・キャンディの著作権管理をする可能性
講談社社史編纂室部長・竹村好史氏 談
――――講談社が再び著作権を管理するという話はなかったのですか?
いがらし側の意向は不明ですが、原著作者・水木杏子氏の方は作画者の口車に乗って講談社との契約を切ったことが一連の横領詐欺の始まりであり、
この事件後、すべてを元に戻し講談社、東映アニメに私の権利を任せることができたらと願っております。
と表明しています。
また、漫画本に関しては 水木は講談社以外、許可しないつもりですが、その版元、講談社でさえ問題がきれいに解決しない限り、出版することはないでしょう。
とも宣言しています。
現在、講談社と『キャンディ・キャンディ』という作品の間には、何の法的関係もありません。 講談社がふたたび『キャンディ・キャンディ』を出版・版権管理をするには、新たに水木・いがらし両氏と契約を結び直さねばなりません。 その際には当然、講談社法務部の以前からの法的見解であり、最高裁判決によっても再度確認された「水木杏子は原著作者」「漫画作品『キャンディ・キャンディ』は原作原稿の二次的著作物」に則った契約書が作成されるはずです。 しかし、作画者・いがらしゆみこは現在も「最高裁判決は不条理」「水木を原著作者とした最高裁判決は不当」「原作と称する文字を書いただけの人に絵に関する権利を与えるなど受け入れられない」と、公私にわたって主張しており、日本マンガ学会も作画者の主張に同調しています。 このような現状では、講談社としても復刊のためのアクションはとれません。東映アニメーションの立場も同様です。 また、現在にいたるまで、作画者・いがらしゆみこは、原著作者・水木杏子氏、商標権保持者・東映アニメーションに対し、何の謝罪も表明しておらず、今まで行ってきた不正ビジネスに関する情報公開も拒んでいます。 事件が未解決のままでは、作品の正常化は到底不可能です。 その様な現状に加え、日本マンガ学会が原著作者・講談社・東映を陥れるような情報操作を行っている上、違法グッズ業者を煽って新たな裁判を起こす「提言」までしているのです。 事件の沈静化とキャンディビジネスの早期正常化は、原作者・講談社・東映、そしてファンの切なる願いでした。 しかし、その願いは日本マンガ学会の介入によって踏みにじられました。 日本マンガ学会理事等によって流されたデマ(「講談社は裁判で証言しなかった」等)が正され、紛糾した事態が治まるまでには、長い時間が必要でしょう。 (略)
具体的には
他の記事を飛ばして竹村氏のインタビューだけを読んでも、充分に事件の本質(法律/契約面、両者の感情面、漫画文化の側面共に)は理解できると思います。 …てゆーか、みんながこの本をちゃんと読んでくれれば、私がこんなサイトを運営しなくてすむんだよ! 『キャンディ・キャンディ』マーチャンダイズの契約関係
勘違いしている人が多いのですが、キャンディ事件は「昔は契約が曖昧だったから」起こったのではありません。
億単位のキャラクタービジネスだった『キャンディ・キャンディ』は、講談社が版権管理をしていた時代から、口約束ではなく成文の契約書が作成されて、きっちりした管理がされていたんですよ。
『キャンディ・キャンディ』復活の条件
それと、本書を読めばわかるけど、
アニメ版キャンディ復活の条件としては
漫画の出版に関しては、
……以上から、キャンディ復活に必要な最低条件は
ここまで拗れた以上、謝りさえすれば万事解決するとも思えませんが、いがらし側から水木への謝罪表明がなければ、講談社にしろ誰にしろ、仲裁のしようがないんですよ。
「版権ゴロに騙されていました」「悪徳弁護士に洗脳されていました」でもいい、心の中で舌打ちしていてもいい、いがらしが形だけでも水木に対する謝罪の意を示せば、周囲もアニメのソフト化や放映に向けて何らかのアクションをとれる。 とりあえずハードルの低いアニメ再放送を実現し、いがらし・水木・東映・講談社の権利関係を連載当時に戻す。 漫画の復刊は難しいけれど、アニメ復活に伴い水木氏と講談社・東映が接触する機会も多くなるであろうから、その機会に辛抱強く説得を重ねる。 問題の解決には、この正攻法ひとつしかないんです。抜け道も奇策も存在しない。 法の抜け道を探して無理やり出版や再放映をしようとすれば、更に解決は遠ざかるでしょう。 事件の経緯自体は複雑だけど、解決法については疑問の余地なくシンプルなんですよ。 原作者も講談社も東映も、それぞれの立場でやるべき事は既に全てやっている。 いわば、「ボールはいがらし氏に渡されている」んです。 (そして原作者も講談社もこれだけはっきりと公式に意見を表明しているのに、何故、一部の人間は、それを無視して「原作者が何を考えているのかわからない」「講談社は事態の解決の為に何もしていない」と吹聴して回るのか) あと、時々「どちらかが死ねば」と不謹慎な事を言う人がいますが、仮に作画者か原作者のどちらかが物故したとしても「いがらし側」から「水木側」への謝罪は必須。 いがらし側親族はキャンディの不法ビジネスに関与しているし、水木側の親族は裁判当時もその後も、いがらし側から中傷デマを流されて被害を受けているので。
封印作品の謎 少年・少女マンガ編
著者: 安藤健二 (略) ――では、『キャンディ・キャンディ』が出たところで、そのお話を。まず、原作つきですとどんなプロセスで展開しますか。
↑企画は編集部で、自分に話が持ち込まれた時には既に原作をつけることが決まっていた、と語ってますね。
水木氏の証言や『封印作品の謎』に掲載されている講談社の担当編集者の陳述内容と一致しています。 それが契約違反で訴えられた途端に 「キャンディ・キャンディ」は私と担当の編集者との間で企画が生まれ、後にストーリー補強のため原作者を選ぶ形で制作を開始した作品
などという主張を始めるわけです。しかも、相手によって、時期によって、
「水木はうちのプロダクションで時代考証関係の資料整理をやってただけの人間。手違いで原作者として表記された」 「水木は『時代考証はよくわからないから、後はおゆみよろしくね!』と丸投げだった」 「水木の原作はペラ一枚に走り書きしただけの到底原作などと呼べないシロモノだった」 「水木の原作は無闇に長くて、私が大幅に改編して構成し直さなければ使い物にならなかった」 …と発言内容がコロッコロ変わる。 最終回にいたっては、周囲の人間には「最終回の内容はとっくの昔に決めていた。原作は見ずに書いた」と言いながら、裁判所に「水木が原作を書いていない証拠品」として最終回の原作原稿に「ここはカット。ここは改変して使用。ここは使用」とマーカーで注釈を入れて提出。 こんな調子のいがらし氏が吹聴している話を鵜呑みに出来る人の精神構造ってのも、良くわかんないよね。 『まんが原作者インタビューズ(同文書院1999年)』より水木杏子の発言
ご参考までに、伊藤彩子・著『まんが原作者インタビューズ―ヒットストーリーはこう創られる!』同文書院 (1999/10)より、水木杏子が語る「キャンディ・キャンディ」の連載企画の発端について。
――『キャンディ』っていうのは、いがらしさんが連載をやることが決まってて、編集サイドから企画が出されて、じゃあ原作者は誰にしようってことで水木さんにお話がきたんですか。
連載中の漫画家との打ち合わせについて。
――原稿を編集者に渡したら、もう雑誌に載るまで見ないっていう感じだったんですか?
こういう手順で作られていった事実を、いがらし氏と親しい漫画業界人は「少女マンガの女王いがらしサンに、新人だった水木さんは当初言われるままに書かされてきた」などと意図的に歪曲して流布してきたわけです。
連載当時の昭和52年にいがらしゆみこ自身が描いた「キャンディ・キャンディ」連載一回分の原稿作成手順
はじめに
web.archive.org で大半のデータは拾えるものの
参照外部リンク: web.archive.org「キャンディ・キャンディを守る会」 非常に貴重な発言集である「水木先生への質問と回答」のページは不具合が出て閲覧不能。 サービス終了前にウェブ魚拓で保存しておきましたが、 参照外部リンク: 「キャンディ・キャンディを守る会内<水木先生への質問と回答>」2016年1月22日 19:22のウェブ魚拓 短縮リンク: http://gyo.tc/16mSe どうせなら参照しやすいように保存しておくほうが公益性があるかと思い、このページで再公開する事にしました。 質問1 いがらし先生は本当に水木先生を原作者と認めていないのか?それはいつからか? 質問2 いがらし先生は、なぜ今になって漫画「キャンディキャンディ」はご自分ひとりだけの権利と主張されるのですか? 質問3 漫画『キャンディ』のキャラクターをいつ、どこで、だれが描いたとしても、それが『キャンディ』に登場するキャラクターである以上、その絵はすべて漫画『キャンディキャンディ』を背景として描かれていると思うのですが、このことについて、いがらし先生はどのように思われますか?(一般的に、原作者の<絵>の権利がその漫画本の中に記載されている<絵>だけにあるとはとても思えないのですが) 質問4 キャンディキャンディを今後どうするつもりで裁判を続けておられるのか? 質問9 いがらし先生・水木先生は、<お二人の「キャンディキャンディ」>として後世に残すつもりはないのですか? 【水木杏子の回答】 質問10 両先生は、なぜ「講談社」との契約を解除されたのでしょうか?(それまでずっと講談社だったのになぜかと思いまして) 【水木杏子の回答】質問10 質問11 質問というよりもお願いになると思うのですが、いがらし先生・水木先生のお考えになる「事実」と「事実と異なる憶測・誹謗中傷など」の違いを教えていただけないでしょうか? 【水木杏子の回答】質問11 質問12 いがらし先生、水木先生にとって漫画「キャンディキャンディ」とは何ですか? 【水木杏子の回答】質問12 質問13 プリクラの件があきらかになったばかりの頃、お二人は直接お話される機会がありましたか? また話し合いに応じなかった事実はありますか? 【水木杏子の回答】質問13 質問14 <著作物>に関わる「同人誌」「インターネット」のファン活動を両先生方はどのようにお考えになりますか? 【水木杏子の回答】質問14 質問15 水木先生にお聴きします。原作つき漫画の「漫画家」について、どのように思われますか? 【水木杏子の回答】質問15 質問17 この裁判以前、お二人の原稿料(他、すべてのギャランティを含む)の比率に関して不満をお感じになったことはありますか? 【水木杏子の回答】質問17 質問18 両先生にお聴きします。 いがらし先生も水木先生のどちらも関知なさっていない「キャンディグッズ」の<海賊版>に対してどのような処置をとるべきか、そこまでのことをお考えになっているのでしょうか? 【水木杏子の回答】質問18 質問19 プリクラの件以前にお二人の話し合いの中で、キャンディグッズについてのご意見の違いはあったのでしょうか? 【水木杏子の回答】質問19 最後に
水木杏子/名木田恵子公認ファンサイト「妖精村」掲示板で、旧小説版復刊当時(2003年)に『なかよし』連載版と単行本との変更点について尋ねられての原作者解答。
わたしの中のキャンディ
※"育てている別の漫画家の連載(しかも、キャンディと似た作品)"はいがらしゆみこのアシスタント出身である原ちえこ作、西洋大河ロマンものの『フォスティーヌ』(1978年3月号より連載開始)を指していると思われる。
別記事(ステアの戦死とアンソニーの「バラの死」)でも触れたが、連載終了間近の号では度々作画者による原作改変をめぐるトラブルがあった。
(尚、名木田/水木の原作原稿は小説形式で書かれており、各キャラクターの科白まできちんと書き込まれている) 物語の流れとしては、
1. アルバート失踪
ひとり寂しさに震えるキャンディ モノローグ「どこにいるの……」 a. 「あたし はじめてアルバートさんを おいかけている……」「レイクウッドでさよならもいわずに別れた……」「ロンドンでも……」「だけど……またどこかで会えると信じていた いつかふっとあたしの前に立ってくれると……」 「いつだってそうだったから……」「あたしが悲しいときあたしがつらいとき いつもやさしく だきとめてくれるアルバートさんだから……」 「でもいまは……」 「会いたいの いますぐ会いたいのアルバートさん」「どこを さがしたらいいの……」 2. ロックスタウンから発送された小包届く 3. ドサまわりのテリィの姿を見る 客席にキャンディの「幻」を見たテリィは演技への情熱を取り戻し、 コマ1: テリィの背景のイメージシーンは『ブロードウェイで活躍する自分の姿』 モノローグ「よみがえるストラスフォードの日々…… ブロードウェイの舞台……」 コマ2: テリィモノローグ「これが おれの演技だ!」 4. 帰宅、ジョルジュが迎えに ひとりきりの部屋でアルバートとの思い出にひたるキャンディ おそろいのマグカップを見ながら回想「カーテンはこの色がすき!いいでしょ」「おそろいのパジャマかい」「イニシアルいりのモーニングカップ買っちゃった バーゲンでやすかったの」「いっしょにきめようっていったのに けっきょくキャンディ一人でえらんじゃうんだな」 モノローグ「ここは一人でくらすにはさびしすぎる……」 窓の外に元気な子供達の声。ポニーの丘の子供時代を思い出すキャンディ。 b. 「ポニーの丘……子どもたちのわらい声……」「ポニー先生……レイン先生……」「あたたかい窓べのあかり だんろの前のだんらん……」「帰ってらっしゃいキャンディ……ここがあなたの ふるさとよ……」 モノローグ「帰りたいポニーの丘に!」「ううん帰ろう!」「ひとりぼっちはいやだ!」「そして……ポニーの家からかよえるところに看護婦の仕事をみつけて……」 自分の原点を確認し、看護婦としての未来を見据えたところで部屋にノックの音。開けるとジョルジュ。
1. アルバート失踪
ひとり寂しさに震えるキャンディ。 枕の下から『王子様のバッジ』を見つける。ポニーの丘の子供時代を思い出すキャンディ。 b. 「ポニーの丘……子どもたちのわらい声……」「ポニー先生……レイン先生……」「かえってらっしゃいキャンディ……ここがあなたの ふるさとよ……」「あたたかい窓べのあかり だんろの前のだんらん……」 モノローグ「かえりたい!ポニーの丘に……」「ううんかえろう!」「ひとりぼっちはいやだ!」「そして……ポニーの家からかよえるところに看護婦のしごとをみつけて……」 胸元で『王子様のバッジ』の鈴が鳴る。 モノローグ「王子様のバッジ二つある!」「一つは……あたしがずっとつけていて……もう一つは まくらの下から……」「なぜ……こんなところに……」「このベッドはアルバートさんがつかっていて……」 「もしかして……もしかしてアルバートさんはアードレー家の人……?」 「アルバートさんは……」 「会って……会ってたしかめたい……」「アルバートさんどこにいるの……」 2. ロックスタウンから発送された小包届く 3. ドサまわりのテリィの姿を見る 客席にキャンディの「幻」を見たテリィは演技への情熱を取り戻し、 コマ1: テリィの背景のイメージシーンは『キャンディの笑顔』 モノローグ「キャンディ…… まぼろしであっても きえないでくれ!」 コマ2: テリィモノローグ「おれはいま おまえのために演じている!」 4. 帰宅、ジョルジュが迎えに ひとりきりの部屋でアルバートとの思い出にひたるキャンディ。 モノローグ「アルバートさん あたしポニーの家に帰ります」「ここは一人でくらすには さびしすぎる……」 a. 「アルバートさん……アルバートさんを あたしはじめて 追いかけてる……」「レイクウッドでさよならもいわずに別れた……」「ロンドンでも……」「だけど……またどこかで会えると信じていた いつかふっとあたしの前に立ってくれると……」 「いつだってそうだったから……」「あたしが悲しいとき あたしがつらいとき いつもやさしく だきとめてくれる アルバートさんだから……」 「会いたいの…… すぐにでも会いたいのアルバートさん……」 キャンディがアルバートに対する思慕をつのらせているところで部屋にノックの音。 モノローグ「アルバートさん!」 開けるとジョルジュ。 全体的に、漫画家による原作改変『なかよし』版は「キャンディ、テリィとも恋愛脳」 原作者の抗議により修正された単行本収録版は「キャンディ、テリィとも過去の苦しい恋愛を乗り越えて職業人として再起を決意」 冬の小窓~二つのバッジ
名木田氏は最終回前の数回分の原稿はまとめて執筆して編集に渡して旅行に出かけた為、連載時のいがらし氏によるエピソード配置の変更や無断改変・原作にないシーンの挿入には対応できなかった。
ちなみにキャンディ終盤で名木田氏が旅行がちだったのは、毎日新聞社の「旅にでようよ」という雑誌で紀行エッセイを連載していた為。キャンディ最終回を執筆したフランス編を含めて『名木田恵子ひとり旅 』という単行本にまとまっている(フランス編のシャトーホテルのパートは「おゆみ」に宛てた手紙形式で書かれている)。 企画立ち上げ時の担当編集者と名木田氏はこの作品を「少女の成長ドラマ」と捉えていたが、漫画家と二代目担当は「スイートなラブストーリー」と解釈し、原作原稿を改変し自分達の望む方向に引っ張っていこうとしていたようだ。 帰国した名木田氏は漫画家に申し入れて単行本化の際には原作に沿った内容に改めさせ、エッセイ(「我が友、キャンディ」)などでは「幸い、担当もいがらし氏もこんな私をよく理解してくれた」と書いているが、実際のところいがらし氏は「私の仕事に上からケチをつけて…」と、内心不満を募らせていたのだろうと思う。 平成11年9月3日付けで旧いがらしゆみこ公式サイトにあげられた、一連の事件の自己正当化の声明文には、 4年半の長編で、私は名木田さんから参考資料として何一つ用意してもらったことはありませんでした。
とあった。現実には、名木田氏は確かにフランスのシャトーホテルDomaine de Beauvaisで最終回を執筆したのだが、いがらし氏がネーム作業に入る前には帰国しており、いがらし氏や担当編集者と最終回の構成について電話で打ち合わせをしている。
事実関係としては、いがらし氏の声明文は真っ赤な嘘なのだが、意識的な捏造というよりも、長年腹に溜め込んでいた不満がフィルターになって過去の記憶が歪んでしまっているのではないかと思う。 つまり、実際に「名木田が旅行に行っていたせいで原作原稿を改変する相談ができなかった」のは、最終回(1979年3月号)ではなく最終回前に書き溜めて渡していった2話分(1979年1、2月号)の事。 その回について後からあれこれとクレームをつけられ、単行本化の際に原稿の書き直し作業を強いられたのを根に持っていた為に、四半世紀たって自己正当化の声明文を書く際に「自分の主観による感情的真実」としてああいう不正確かつ恨みがましい文章を書いてしまったと。 最終回の原稿について ◆ 水木杏子 1999-11-25 (Thu) 23:25:01
最終回執筆時のエピソードは『名木田恵子ひとり旅』やエッセイ「我が友、キャンディ」などで披露されている。
(略)
上記と同内容だが、発表時期が一番早い原稿と思われる1978年に『サンデー毎日』に連載された全6回のエッセイ「おんなの午後 名木田恵子編」のうち第4回「しあわせな主人公(ヒロイン)」を転載する。
十一月の半ば、十日ほど晩秋のパリを旅してきた。
『サンデー毎日』の1978年12月17日号は同年12月4日発売、「キャンディ・キャンディ」の最終回が掲載された『なかよし』1979年3月号はそれから約2ヶ月後の1979年2月2日発売のはず。一般週刊誌でも国民的大ブームとなった作品の完結はニュースとして注目され、今や「時の人」である原作者の創作秘話掲載が歓迎されたのだ。
短いエッセイとはいえ転載は著作権法上よろしくないのだが、いがらし氏と親しい日本マンガ学会理事が「いがらしは水木の原作原稿を一切見ずに最終回を描いた」などと虚偽を吹聴し、最高裁判決後の問題解決を困難にしたという事情があるため、当時を知ることができる貴重な資料としてあえて記録しておく(権利者より指摘があった場合は即座に消去します)。
最後に、毎日新聞社の雑誌『旅にでようよ』連載の紀行エッセイをまとめた単行本『名木田恵子ひとり旅』より、フランスのシャトーホテル Château De Beauvois (現在はワイン造りを辞めたのか、名称がDomaineからChâteauに変更されている)の滞在記を引用。
それから魔女の館のようなブロワ城をめぐり、一人、タクシーで "ホテル・ドメーヌ・ド・ボーボワ" に着いた時は真っ暗になっていました。
参考:『キャンディ・キャンディ』の設定やキャラクターに関する原作者発言を含む記事
ビッグコミックスピリッツ掲載&単行本3巻
春の小窓<まんが編集者たちへの願い>のUPと<いきなり最終回>について ◆ 水木杏子 2001-03-10 (Sat) 17:18:32
小学館の担当編集者は講談社に仁義を通さず、漫画作画者に直接連絡し「水木さんには私が伝えておくから」という言葉を受けて漫画家に後処理を丸投げ。(懇意という程でもない「漫画家の先生」に、本来自分のすべき仕事を任せて手をわずらわせるというのもいかがなものなんだ)
その後は原作者には掲載誌の献本もしなけりゃ、単行本化の際も挨拶なし献本なし。 いがらしゆみこに献本していたかは不明。 (この件はいがらしさんが水木に連絡をしたことになっているようですが記憶にありません。しかし、その点は曖昧なのでわたしも何もいえません。)
いがらし氏が雑談の途中で話に出したのを水木氏が聞き流した等の可能性もなきにしもあらず、また、いがらし氏が悪意なくうっかり伝えるのを忘れていた、という可能性もなきにしもあらずではありますが。
……これに先立つ1991年刊行の『いきなり最終回 part3』の件がある以上、いがらし氏の「悪意なきミス」とは考えづらいのですよ。 参考:いきなり最終回part3の無断掲載
2010年11月『小説キャンディ・キャンディFINAL STORY』刊行後、 "公認ファンサイト妖精村"の掲示板に著者の名木田恵子が投稿した、ファンの質問に対する回答(投稿日:2010年12月 1日(水)23時47分37秒)。クリックで回答が表示されます。
1.今や小説の出版を終えられたわけですが、キャンディが登場するか、または登場することがないとしても続編を書く御計画がありますでしょうか?
FINAL・・。これで登場人物たちともお別れ、という意識で書きました。
続編を書くことはありません。 けれど、FINALは新たな始まりでもあると思っています。 今回書き上げたことにより、さらに身近になった物語世界の<永遠の土地 、空、風、花々、建物 >をもとにしたスピンオフを書けたらと(出来るまでは予定にすぎませんが)思っています。 ある詩人がいわれたように<風景は時間>です。 新しい時代、新しい主人公を同じ舞台で・・もともとそちらを書く予定でした。
2.キャンディを再び画面上に登場させるために別の漫画家やアニメ制作会社とご協力されるお考えはありますでしょうか?
わたし自身にはそういった意思はありません。
けれど、考えもしていなかったFINALを書いたように今後出会う人たち、その人たちが信用できるか否か、企画によってはどうなるかはわかりません。 先のことはわからない・・それが人生の楽しみね!
3.最初に書いた時から、先生のキャンディの物語に関する感情が変わったということはありますか?
物語世界としては、全くありません。
4.なぜ、改訂版では曖昧な結末を描くことをお決めになられたのでしょうか?今後私たちがいつの日か「あのひと」が誰であるか知ることはあるのでしょうか?
曖昧にした理由はいくつもありますが、その一つは、あのひとに至るまでのdetailを書かなかったからです。それを書けば続編になってしまいます。
わたしは裁判上では原著作者で続編も自由に書くことはできますが、なんといっても原点は漫画です。 漫画のために描いた物語なのです。 (はじめから小説として書いていたなら、書いていたでしょう。) そして、漫画として評価されなければ、現在もありません。 そういった意味で<曖昧>な結論が精一杯の<その後>です。 あのひとがだれか、ということより、キャンディスが<さまざまな苦難を乗り越え(そうなのよ!)、いちばん<愛しているひと>と穏やかでしあわせに暮らしている>ことを最後にお話ししておきたかったのです。
5.改訂版に関わる先生のお仕事について個人的なインタビューを受けていただけることを考慮願えませんでしょうか?
すべてにお答えはできないと思いますが、可能です。
『小説キャンディ・キャンディFINAL STORY』は「続編」ではありません。キャンディのFinal版のこと 投稿者:名木田恵子 投稿日:2010年10月14日(木)
刊行当時の事情を記すと、そもそも祥伝社は復刊ドットコムから出た『小説キャンディ・キャンディ』の文庫化を口実に名木田氏に近づいて来た。
参照: 復刊ドットコム版『小説キャンディ・キャンディ』 刊行の経緯 それがいつの間にか企画が変わり、リライト版ハードカバー上下巻となった(「安価にお手元に」どころか復刊版より高い!)。 ところが出版直前に祥伝社公式サイトで公開された宣伝用フラッシュムービーや、書店サイトや紙媒体の広告に記載された文言では、オマケ要素に過ぎない後日談部分を全面的にアピール。現物を手にしてみたら、本のオビにも続編誤認を誘うコピー。 これじゃ読者が「キャンディの続編」と誤解しても不思議じゃない。 出版社側が最大限にウリと見積もった要素を推すのは当然といえば当然ではあるが、アンフェアだよな。
ファイナル執筆にとりかかる前、祥伝社側は名木田氏の「小説としてキャンディの作品世界を静かに閉じたい」「再漫画化は旧作ファンの心情を配慮して絶対に拒否」という主張を受け入れ、裁判関連の事情にも理解を示し、名木田氏は「この人たちは私の理解者!」と感激して出版契約を結んだらしい。
…が、いざ本が出てみると、態度を豹変させた祥伝社はファイナルをベースにした漫画化やアニメ化、海外での映像化等の企画を嬉々として持ち込みゴリ押しを始めた。 名木田氏は「執筆前にあれほど念押ししたのに…こちらの事情や心情に理解を示してくれたのに…」と困惑やら怒りやらを表明していましたが、いや、多少なりとも世の中を知ってる人間なら事前に想定できていた事態と思いますけどね。 最初に文庫化の話を持ち込んだ段階から、祥伝社は「ビッグタイトルである『キャンディ・キャンディ』の二次利用によるコンテンツビジネス」で一儲けするのを狙っていたって事でしょ。言うたらなんですが、小説キャンディの文庫版自体でそれほどの売り上げが見込めるとは思えないもの。だから復刊ではなく大幅リライトでタイトルも変えさせた。世間知らずな作家の浮世離れした主張なんて、適当に調子を合わせておけばいい。出版して権利に食い込んでしまえばこっちのもの、後はいくらでも丸め込める……という魂胆だったんじゃないですかね。 ファイナルストーリーが品切れのまま増刷されない実際の理由は知らないけど、その辺りの不協和音が影響してるんじゃないかと個人的には想像します。 そんな訳で、「ファイナルストーリーはキャンディの続編」とガセを流すのはやめようね。あと、現物を読んでもいないのに「続編でキャンディは○○と結ばれた」と又聞きで吹聴して回るのもやめましょう。実際に読んだ上で「私はこう解釈した」ならいいけど。 私もオタだからキャラ萌えカプ萌えは否定しませんが、物語自体のテーマ性を無視して自分の萌え解釈を他キャラのファンや公式に押しつけて騒ぐカプ厨行為はつつしもうな、リア中じゃないんだからさ。 『キャンディ・キャンディ』というのはキャンディス・ホワイトという倒れては立ち上がるタフな少女のビルドゥングスロマンなので、ぶっちゃけ、物語中に登場する少年たちはキャンディの人生旅の一里塚、成長の肥やしみたいなものなんだよね。「なんで殺した」「なんで別れさせた」と責められても物語作家としては困るだろうに。 なぜファイナルストーリーは「挿絵ぬきの小説」なのか
SNSで「本当なら、ファイナルストーリーだって いがらし先生の挿絵があったはずなのに と思ってしまうんです」などと心無い発言をしている人がいたので、裁判当時の水木氏の発言を再録しておきます。
暑いけれど、寒い夏 ◆ 水木杏子 1999-08-09 (Mon) 13:16:30
(「続編」ではないにせよ)原作者がいがらし絵と決別したからこそ『小説キャンディ・キャンディFINAL STORY』を書き得たのだ、という事実を踏まえれば、「いがらし絵の挿絵を入れてほしい」というのが如何に心無い言葉なのか理解できると思います。
10年くらい前にYahoo!の悪徳画商トピでの議論を眺めていたらこんな会話があった。
直筆一枚絵を販売する際、画家の取り分は売値の5割が基準。 画家と画廊の力関係で変動はあるが、それでも画家4:画廊6くらいが下限。 (そのトピでは「東京は地代が高いからウチは3割何部」と発言していた人が「悪徳画商」呼ばわりされていた)
『キャンディ・キャンディ』という漫画作品の出版権が裁判で問題になったことはありません。
本裁判にあたるのがフジサンケイアドワークによる絵画商法をやめさせる為の差し止め請求なのですが、「(版画と称する印刷物の)出版などの差し止め」の「出版差し止め」という字面で「(講談社の)漫画本の出版差し止め」と誤解した人が結構いるっぽいのは困った処。 原画を元に複製を印刷して販売するから複製画も「出版物」なのですよ。 (※海外における違法出版は別問題) 講談社版単行本
水木といがらしが講談社との二次使用管理委託契約を切った(1995年春)後も、出版契約自体は依然として残っており、裁判中も講談社KCコミックス版『キャンディ・キャンディ』は品切れになる度に増刷を重ねていた。
原作者・水木杏子はアニメの再放送については当時も現在も「いつでもOK」と公言しており、漫画版についても可能ならば存続させたいという意向だった。 しかし最高裁判決(2001年10月25日)を受けて作画者・いがらしゆみこが公表した声明文「いがらしゆみこからみなさまへ」を見て、漫画家が原作否定の姿勢を表明している状態で作品の出版は不可能と判断。講談社に「事件が沈静化するまで増刷休止」を申し入れた。 参考:キャンディ・キャンディ虐待問題内 05 いがらし声明文に対する抗議文 KCコミックス<休眠>のお知らせ ◆ 水木杏子 2001-11-25 (Sun) 21:48:45
当初の申し入れは「問題が解決するまで増刷の休止」だったが、講談社側の意向により「出版契約解除」となった。
KCコミックスの<契約解除>について ◆ 水木杏子 2001-12-16 (Sun) 18:28:58
2002年1月末をもって水木杏子と講談社間の『キャンディ・キャンディ』出版契約終了。
講談社KCコミックス『キャンディ・キャンディ』最後の増刷は2001年12月初旬。 今年もお世話になりました・・よいお年を! ◆ 水木杏子 2001-12-31 (Mon) 18:36:43
KCコミックス全9巻以外の講談社版各バージョン(1988年刊行の横型愛蔵版、1992年刊行のハードカバー)は、係争以前から増刷はされていないはず。どんな作品であれ判型の大きな特装版というのはそうそう何度も増刷はしないものなので、係争とは無関係。
ちなみに幼年誌なかよし増刊『るんるん』には1993年から毎号キャンディの漫画が別冊付録としてついていたが、これはハードカバー愛蔵版刊行や1992年東映アニメフェアの単発映画、小説キャンディの新書版での復刊と同じく、キャンディ世代の母親を持つ娘を狙ったリバイバル企画の観測気球のようなものだった。 この時期の市場の反応は芳しくなく、東映と講談社はキャンディのリメイクを一旦棚上げした。尚、この頃に水木杏子は内々に「作画者を変更した『キャンディ・キャンディ』リメイク版漫画連載企画」を講談社から打診されて断っている(作画者への友情と自分自身の思い入れ、ファンの反発などが理由)。 中央公論社版
中央公論社から1991年に愛蔵版全2巻、 1995 年に文庫版全6巻が刊行された。尚、この「中央公論社」は旧法人の株式会社中央公論社である。念の為。
いがらしが水木に懇願して講談社との管理契約を切らせた際に使った口実が「講談社から文庫化してもキャンディしか出ないが、中公からならいがらしの旧作を全集化してくれるから」だったのでもわかる通り、いがらし(及びまんがじゃぱん)との癒着が激しく、後々『ジョージィ!』海外出版関連で数々の不祥事が発覚する。 ただし1999年の『キャンディ・キャンディ』出版契約解除については中公に落ち度はない。 中公文庫コミックス版ついて(水木杏子からのお詫び状)
この時、いがらし氏は講談社KCコミックスの契約解除をチラつかせて恫喝したようで、1999年初頭の時点では一時的に「重版未定」状態になっていた。
KCについてよいお知らせ ◆ 水木杏子 1999-04-13 (Tue) 16:22:32
中公については1999年10月に『ジョージィ!』海外不正出版が発覚したが、旧中公は経営難により読売グループに売り払われ1999年2月に再編済み。よって旧中公の不始末の尻拭いをしたのは中央公論新社である。旧中公がキャンディ関連でも不正を行っていたかどうかは藪の中。
ジョージィの海外版の著作権侵害について ◆ 水木杏子 1999-10-16 (Sat) 01:31:46 まんがじゃぱんのマンガCD-ROM倶楽部
CDROM、その他について ◆ 水木杏子 2000-12-07 (Thu) 20:53:13 ポプラ社の絵本
1992年、未だ講談社がキャンディの二次使用管理をしていた時期にポプラ社から出版された、絵本キャンディ・キャンディ『キャンディと白い子馬』『キャンディと花のぼうし』『キャンディと枯葉色のやかた』というのもあるが、これはトラブルで絶版する以前に自然に市場から消えて行ってそのままという感じ。
どちらにせよ再刊は不可能。 ちなみに後々いがらしゆみこが無断キャラクタービジネスを行った際、ジグソーパズルの絵柄などには、この「絵本キャンディ・キャンディ」の絵も流用されていた。 キャンディの続編について ◆ 水木杏子 1999-07-30 (Fri) 18:14:01 海外出版(簡易データ)
とりあえず原著作者発言のピックアップのみ。後日加筆するかも。
キャンディの英語版の不思議 ◆ Kyoko Mizuki 1999-07-17 (Sat) 13:36:46
"事件の発端となった<香港版>"というのは、いがらしゆみこの元アシスタント村中志津枝(鈴賀レニ)が当時勤めていた玉皇朝出版国際版権部と、いがらしゆみこがアジア圏でのビジネス用に立ち上げたキャンディコーポレーション(香港代表:石川正志、日本代表:山本昌子)の間で原著作者の知らぬうちに契約が結ばれた『小甜甜』全9巻の事。
無断契約が発覚後、キャンディコーポレーションの契約は破棄され、1997年6月に原著作者と玉皇朝の間で契約が結ばれたが、同年、次々といがらし側の不正が発覚、翌年1998年1月には裁判開始。1999年6月30日に契約解除されたが、玉皇朝が結局どれだけ刷ったかも定かでない。 イタリア版について ◆ 水木杏子 1999-08-04 (Wed) 13:10:02
イタリアでは講談社や東映の目が届かないのをいいことに、勝手にアニメのラストを改変してテリイとの復縁展開にしたり、続編の漫画を出したりしていたらしい。
2004年時点での原著作者・水木杏子の公式見解を引用しておく。
7年間に及んだこの事件は、<著作権問題>にすりかわってしまいましたが、わたしは<詐欺>相当の事件だったと判断しております。
2018年11月13日、ハーゲンダッツのクリスピーサンド『赤い実はじけた 恋の味 ~マスカルポーネ&ベリー~』発売を記念してミュージックビデオ「はじめてのチュウ meets『赤い実はじけた』」が制作された。
原作:名木田恵子
唄:あさぎーにょ 編曲:大木嵩雄 漫画:横槍メンゴ MV監督:篠田利隆 アニメーション演出:大橋史 企画:栗林和明 / 氏くん 制作プロデュース:CHOCOLATE inc.
漫画原作として書き下ろされたものではないが、光村図書出版の国語教科書に掲載されていた短編小説「赤い実はじけた」がハーゲンダッツの商品プロモーション用素材として横槍メンゴによってコミカライズされ、実質的にこれが名木田恵子原作漫画の最新作となっている。
尚、1992年の光村教科書版は三木由紀子、1999年PHP研究所の単行本版は三村久美子、2015年の講談社青い鳥文庫『初恋×12歳 赤い実はじけた』再録時には少女漫画家の山田デイジーが挿絵を担当している。
余談になるが、名木田恵子が「初めての恋」を「赤い実」と表現したのは本作が最初ではなく、1979年の少年少女講談社文庫『小説キャンディ・キャンディ』が先行している。
新しい世界に向かって 投稿者:名木田恵子 投稿日:2011年 1月 3日(月)23時06分55秒
こちらは掲載誌情報がないので現物は未確認だが、一応引用しておく。
最後に<異色の漫画原作>を。
丸山敬太は1987年に文化服装学院を卒業しているので、85、86年頃に刊行された『装苑』かその増刊号と思われる。
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